2021年07月05日
あの頃と違う勝利
オーストリアGP、フェルスタッペンのレッドブル・ホンダが3連勝、しかもポールtoウィンのパーフェクト・ゲーム。しかもホンダ・エンジンが5連勝するのは実に1988年以来!つまり平成以降では初!
そりゃ喜ばしい記録です。でも、ホンダのF1は今年限り。ちょっと手放しで喜ぶには寂しいものが付きまといます。33年前とは全く違う雰囲気がそこにはあります。
あの頃のホンダは最強チームのマクラーレンとタッグを組み、アイルトン・セナをドライバーに迎えて黄金時代の布陣を敷いていたものでした。ターボ・パワーが許された最後の年でもあり、研究所では翌年からのターボ無しのパワーユニット開発に追われていた頃でもあります。
そんなさなかに連戦連勝、快進撃を続けていた頃の日本では、まさしくバブル景気の火蓋が切って落とされようとしていました。
255馬力のターボ・パワーでお尻を沈み込ませてフル加速する3ナンバー専用車の日産セドリック/グロリア-シーマがバカ売れ!シーマ現象なんて流行語が生まれたばかりか、アートフォース、シルビアs13系もセフィーロも大ヒット。どれもが後輪駆動だった頃で、それは昭和の最後を飾る華やかな時代でもありました。
そんな渦中にあってF1無敵の名を欲しいままにしていたのが当時のマクラーレン・ホンダでした。撤退なんてこれっぽっちも考えられなかった頃です。あまりに強すぎて統括団体の日本イジメ、ホンダ・虐めが顕著にもなったのがこの頃でした。
あまりのホンダの強さに他のチームが太刀打ちできない、となるとターボ付きを禁止してフェラーリの12気筒エンジンでも互角に戦えるようにレギュレーションを変更してきたのです。レース途中の燃料補給も禁止。ホンダのライバルはもはや、その厳しい規則だったのでした。
けれども、対応能力の高さを必要とするこの規則変更は結局のところホンダの開発能力の高さを見せつける為の演出に過ぎませんでした。新規のノンターボV10エンジンを手に入れたマクラーレンホンダはまたモヤ連戦連勝。日本でのF1ブームもやがて頂点に達しようとしていました。
欧米の保守的な価値観の中で孤軍奮闘し、日本の技術力で有無を言わせぬ勝利をもぎ取っていたあの頃。その面影は今の日本企業にはもはや感じられません。時代も環境も大きく変貌し、燃費の優劣や排気のクリーンさにも無頓着でいられなくなりました。いや、ガソリンエンジンで優劣を競うF1がいつまで走り続けるのかさえ不透明です。