2019年11月13日
老舗の変節点
日産の決算発表によれば、今期の収益は大幅な減、1台売れても儲けは各税金分にも満たない計算です。
さて、ヘリテージコレクションを覗いてみるとスカイラインやGT-Rが実に多くを占めていることに気づきます。設計者が登山中に見た稜線から命名されたスカイラインの歴史は60年以上、ですが実は何度かの転換期がありました。一番の変節点は2000GTの追加、レースに勝つことを第一目的としたGT-Rが伝説を生んだ後,シンボル的な存在GT-Rは一旦途絶えます。
Rが途絶えたジャパン、ニューマン、7thの頃のスカイラインはどうだったか?ケンメリ世代から替わったジャパン(210系;5th)の最大の武器はターボ・チャージャーでした。が、6気筒ツインカム復活を望む声は絶えなかったらしく、R30系=ニューマン・スカイラインでは既存の4気筒をツインカム化して「RS」のバッジを冠します。GT-Rと同じ赤白のバッジ、でもGT-Rの名前を冠することは許されませんでした。ツインカム4バルブにターボ・インタークーラーと追加してスカイラインの中でも歴代最強となります。でも、GT-Rの復活までには、さらにもう一世代待たなければなりませんでした。
5ナンバー枠いっぱいまで成長したスカイラインとローレルの間にはこれと言った違いも見当たらず、スポーティーセダンからは縁遠くなりかけた頃、88年に登場したR32;8代目は大幅にサイズダウンして再び、大きな変節点となります。
新世代のGT-Rは待望の6気筒4バルブ、ツインカムエンジンにインタークーラー・ターボでブーストされた280PS、四輪駆動のアテーサシステムを奢られてツーリングカー・レース必勝のマシとなり、再び人気が沸騰します。
二度のモデルチェンジを経て10代目;R34で直列6気筒時代は終わります。当時、新任のカルロス・ゴーンが日産の船頭役を担っていました。スカイラインの暖簾も一時廃止が検討されGT-Rも空席の時代がありました。が、ゴーン改革の旗手としてGT-Rが復活、分家・独立しスカイラインは新たな局面を迎えています。
さて、登場10年以上を経た現行GT-Rとスカイライン、これからどこに向かうのか?
注目の400Rが次世代ではどのように形を変えてくるのか?期待は高まります。あるいはRの暖簾を受け継ぐ存在なのか??
船頭が交代した後の日産も大きな変節点に差し掛かっていますが、スカイラインの今後の処遇も気になるところです