2019年10月20日

SUVの源流

今や日米問わず大人気なのがSUV、スポーツユーティリティ・ヴィークルですが、このブームの源泉をたどると日産が大きくかかわっています。

Img_6450 ダットサン・トラックと呼ばれた日産の老舗トラック・ブランド、古くはダットサン10系の昔にまで遡ることが出来て、柿の種(310系)の土台を流用したのが320系、60年代からチラホラ北米市場にも輸出されるようになり、安価で壊れない小回りの利く手軽なトラックとして定着してゆくことになります。

70年代、620系の頃には四輪駆動に改造するキットも大流行して「Datsun=ダッツン」は輸出の尖兵に。510セダン、240Zと並んで大きな収益を上げます。当然、ビッグ3(米国政府)としては面白くありません。程なくして完成車トラックだけに25%の関税が課せられると、日本側は荷台を取り付けず、「未完成品の部品の状態」で輸出し現地で完成。うまく関税をすり抜けた!と思ったらこれもやがてアウトに。・・・・・

Img_6392 そこでトラックの荷台部分に屋根を付けて5人分のシートと窓を誂え、これは乗用車ですよ!と銘打たれたのがnissanテラノ。これがまた大ヒット、それまで無かったSUVという言葉も生み出して、ブームは欧州の高級車ブランドにまで波及、今日に至るというわけです。

Img_6357 他方で、小さなダットサン、サニーにもトラックバージョンが登場、2000年ごろまで延々と生産が続き、都内でも程度の良いサニトラをたまに見かけることがあります。このサニトラ(120系)と同じ素性のサニークーペはその昔ツーリングレースでは大人気の車種。あまりの人気にホモロゲーションが延長されるほどでしたが、その魅力は何といってもレスポンス最高の12Aエンジンと軽い車体。「隣のクルマが小さく見えま~す」のキャッチコピーが比較広告だの何だのとクレームがつけられたのも当時のトピック、今なら間違いなく炎上ネタでした・・・・・

ハチロクがサーキットの人気を独占する様になるのはもう少し後、70年代は技術の日産でありモータースポーツの日産でもあったのでした。

サニトラがいなくなってから日本ではいわゆるボントラと呼ばれる、ボンネットの付いたトラックは絶滅。軽トラにみられるような運転席キャブが最前列に来るスタイルがデファクトとなって定着しています。

| 12:55 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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