2018年04月17日
#aroundtokyometro02
東京メトロのルーツを探って丸の内線を振り返ります
渋谷〜新橋、新橋〜上野間で銀座線が生まれたあと,東京駅と池袋・新宿を結ぶ路線が計画されました。東京一の繁華街、銀座を通り東京と新宿を結ぶ,しかも霞ヶ関はおろか、国会議事堂の真ん前にも駅を作ると云う何と言う大胆な路線。
・・・・・が,戦前からの計画は戦後十年も経ってようやく結実します。
※地名の丸の内は1970年の町名変更以来「の」ですが丸ノ内線は旧表記「ノ」をそのまま継承
沿線には上智、東大などもあり、山手線のはるか外側の住宅街まで路線が続くのも、銀座線にはなかった特色です。路線カラーの赤は初期の200系車体色のもの,白い帯にサインカーブと云うデザインは戦前にはなかったファッショナブルなものでした。荻窪に住む国家公務員さんが霞ヶ関まで通勤し、早退して後楽園球場で巨人軍に声援を送ったあと、夜は銀座・新宿で飲んでから自宅に直帰,と云う用途にピッタリです。
荻窪〜新宿間は国鉄(当時)と違って青梅街道の地下を進みます。中野坂上で支線を持つのも特色。新宿駅北側の大ガード下でJRと交差、新宿御苑を過ぎると四谷までほ新宿通りの下をすすみ、赤坂見附では先に完成していた銀座線とホームを共有。実は線路も乗り替え可能で,隅田川花火大会などでは銀座線の列車が丸ノ内線に乗り入れる特別列車が運行されました。(良く似た2つの路線ですが丸ノ内線の方が微妙に大きく,乗り入れ出来るのは銀座線車両のほうだけです)
銀座線、丸ノ内線の車体だけは小ぶりでパンタグラフもなく、トンネルも低くなっています。地下鉄のトンネル工事には二つの方法があって、山岳トンネルのように真横から馬蹄形の穴を水平に掘りすすめるシールド工法、上から道路を掘り下げて、埋め戻すのがオープンカット工法。当然こちらのほうが技術的・予算的にも容易です。パンタグラフがない代わりに直流電流は左右の線路と、三本目の第三軌条と呼ばれるレールから取り込みます。もちろん強力な絶縁が必要ですが。
昔の1000系,200系時代をご存知の方なら、駅に到着前のデッドセクション(ポイント通過)で一旦電気が途切れ,車内が真っ暗になったのも昔懐かしい地下鉄風景の一コマでした。
霞ヶ関から日比谷公園の真下を突っ切ったあとは昔の数寄屋橋へすすみます。いまは首都高速八重洲線の下で1、2階が西銀座デパートになっているルート。ここは元々江戸城外濠が流れていた水路でした。そこからJRの線路を潜る形で馬場先門下から丸の内へ。東京駅の真下は国鉄が地権者ですから駅を作るなら丸の内か八重洲側、丸ノ内線の名前もここに由来しています。
国会から後楽園まで,バラエティに富んだ停車駅だけでなく四谷駅ではホームからお花見も可能という,ユニークな車窓風景、淡路町〜聖橋のたもとで一瞬地上に姿を見せて、お茶の水に達しますが、ここでは下から外堀>地下鉄>中央、総武線>聖橋の順に立体交差します。ご存知、昭和なフォトスポットです。
後楽園で,また地上に顔を出し、大塚では山手線、都電荒川線とも接続するので東京周遊のコースにははずせないポイントです。
池袋,今や最大級のターミナル駅。地下鉄だけでも有楽町・副都心線がそれぞれに地下ホームを持ち,西武線ホームから副都心線に乗り換えようものならかなりの時間を見込んでおかなければなりません。東京生活になじもうと思ったら池袋駅を攻略するのも一つの自信に繋がったり...‥するかも