2016年07月18日
歴史遺構
都内にも世界遺産が誕生!が決定しましたが都県境を挟んだスグ向こう側、多摩川サイクリングコースを何度も行き来していて何気なく見過ごしてきたコンクリート製の段々。中学生の頃からそこにあるのはわかっていましたが、ここが日本で最初の自動車サーキットだと知ったのはつい最近のこと。
今、至近距離にある川崎市民ミュージアム、一階ロビーで写真と白黒フィルム映画が展示されています。(等々力競技場隣)
80年前の1936年夏、若き日の本田宗一郎も日産のエンジニア達もこの地で覇を競い合っています。海の向こうではル・マンやモナコでグランプリレースの長い歴史がスタートを切って間もない頃。フランスの英雄ブガッティや名だたるマシンに混じって日本製のレーシングカーも互角の戦いを演じてました。
最終コーナーを100km近いスピードでクリアして東横線橋脚手前の1コーナーまでの直線ではかなりのスピードが出たことでしょう。路面は簡易舗装、競馬場のダートコースみたいなトラックを土埃を舞い上げながらレースカーが通り過ぎます。今もそこに残る段々の観客席を埋め尽くした2万とも3万とも言われる観客の興奮と熱狂はどれほどのものだったことでしょう。
もし、このサーキットが無かったら世界の檜舞台に打って出ることになるホンダやニッサンが育っていたかどうか?不可欠だったとは断言できませんが重要な役割を果たした筈です。
もし、戦争で中断されることがなければ日本の工業力も自動車産業ももっと早く欧米に肩を並べていたかも知れません。今では何〜にも知らないおじさん達が白球を追いかけて走りまわっているグラウンド、こんなにも身近な場所に歴史的な遺構があったなんて!
最近になってこの場所に記念のプレートが埋め込まれました。あの夏、優勝を争ったメーカーからは来月、自動運転支援の操縦システムが発売されます。ハイブリッドと並んでこの分野でも世界のトレンドセッターたることができるかどうか・・・・楽しみに見守って行きたいと思います