2016年03月16日
変わらないことの大切さ、難しさ
トヨタのランドクルーザーと言えば、クラウンよりも旧くから続く老舗のブランド。その中でも70系は30年以上も姿を変えず、歴史を刻み続けています。
国内でも昨年、販売を復活し話題をさらいました。モデルチェンジを繰り返し商品力アップを図る自動車産業にあっては異色の存在です。
砂漠の真ん中や極北地方など近所に自動車整備工場もJAFのサービスカーも見当たらない極限の環境下でも頼れるランドクルーザーにとっては、永年の信頼を積み上げることこそが何よりの商品力向上要件、フォルクスワーゲンビートルもシトロエン二馬力もそうでした。
積み重ねたキャリアが、スペックよりもモノを言う、人間だって同じこと・・・・・・
我々のように単一言語のもと、同じ人種、文化、宗教の人間ばかりだと,士農工商の時代とは違って俄かにランク付けできる指標が欲しくなります。学歴によるレッテル貼りが顕著な例でしょうか、韓国も同様です。ブランド志向や食べログ、五つ星の権威に弱いのもまた然り。
その人の本質を見極めるという判断基準を安易なランク付けに頼りすぎてはいないでしょうか?お気に入りのラジオの番組はナビゲーターの学歴で決めますか?東大卒が誰にでも愛されるならぱ菊川怜や草野仁、矢崎滋の人気は絶大のはずです。
本田宗一郎はこんな言葉を残しています
『人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。』
〝成金作家〟と揶揄される自称文豪、菊地寛は東京大学、京都大学に相次ぎ入学したが貧苦を脱する第一歩は「金持ちの娘との結婚」と疑わず、持参金の額だけで相手を決め貧困を脱しました。
芸術的価値よりも、「売れるもの」を、という「生活第一、芸術第二」のポリシー下で生まれた新聞小説『真珠夫人』が爆発的な支持を受け、原稿料はうなぎ登り。一躍、時代の寵児となるものの「成金作家」と陰口もたたく者も増え始め、窮屈な思いを抱いていました。自由にものが言える場として雑誌『文藝春秋』をポケットマネーで創刊したのは「その頃の」菊池寛でした。
昨年10月8日、文藝春秋社は記事の掲載で「配慮を欠いた」として週刊文春の新谷編集長を3ヶ月間、休養させました。当時、文春側は<読者の信頼を裏切ることになったと判断した。3カ月の間休養し、読者の視線に立って週刊文春を見直し、今後の編集に活かしてもらうこととした>とコメントしていましたが、事情通の間では社内の新谷体制を快く思わない経営幹部が、新谷を追い詰め、記事を口実に一線から退かせた、というのが通説です。3か月後に新谷が編集長に復帰する可能性は誰も信じていなかったそうです
読者の視線よりも販売成績!!と今頃、墓石の下で菊地先生も檄を飛ばしておられるのでしょうか?
(未公開情報)数ヶ月のブランクを経てmake it 21が放送開始を1時間繰り下げ,make it 22として再出発した。内容も、スタッフもナビゲーターも旧来のまま、との批判がある中、注目度と聴取率の高さだけは群を抜いていた・・・・・・・こんな呟きを実現させたいものです。