2014年11月08日
トクさん(徳大寺有恒氏死去)
自動車ジャーナリストとして、巨匠と呼んでもいい位、日本を代表する第一人者の徳大寺有恒さんが亡くなられました。去年の小林彰太郎元カーグラフィック編集長の訃報に続き,大きなショックです。と同時に日本車の急成長を陰ながら支えた巨匠の業績をあらためて振り返らずにはいられません
業界からの批判に備えて、敢えて無名の徳大寺有恒というペンネームで国産乗用車を中心にズバズバと批評したのが著作「間違いだらけのクルマ選び」1970年代後半、空前の大ベストセラーとなり、クルマ評論ならこの人という代表作ともなりましたが,元々は黎明期のモータースポーツ界にあってトヨタのワークスドライバーとして古いクラウンやコロナでサーキットを攻めたほどの腕利きでした。生沢や黒沢と言った往年のビッグネームのさらに先輩格です。そもそもご実家がクルマ関係のお仕事で,幼少時期から身近にクルマに接していた点では、小林元編集長とも似ているフシが有ります。
そんな徳大寺さんを変えたのは一台のドイツ車との出会いでした。ご本人も語っているように初代ゴルフの完成度の高さが彼のクルマ評論のメートル原器となり,あらゆるクルマと較べても揺るぎの無い完成度,その価格を超えた価値というものを高く評価されておられました。
代々進化,成長するゴルフを追いかけるように日本車も追いつけ追い越せとばかりに次々と新型車を世に送り出して来ました。ことあるごとにゴルフと較べて・・・とかゴルフを凌いだ・・・のような形容も使われたものでした。80年代大ヒットした赤いファミリアなどは瞬間的にカローラの売り上げ台数を上回り,広島ゴルフというニックネームも頂戴したほどゴルフを良く研究して開発されたクルマでした。デザインの流行に与えた影響も大きく,80年代半ばまで折り紙細工と揶揄された直線的なデザインが世界的に大流行しました。西部警察の頃の人気車を見ても角張った弁当箱の様なデザインがもてはやされたのが判ると思います。
石油危機、地球温暖化という課題を前に,クルマの進む方向も随分と変化して来ましたが、ゴルフというクルマの性質、社会の中でのクルマの捉えられ方もまた,随分変化して来たようです。昔ほどにはクルマ雑誌に夢中にならなくなってしまったのは,あまりにも完成度が高くなってしまったからなのか?クルマに求められるスポーティーさ、高性能と言った類いの付加価値がもはや、意味の無いものになってしまったからなのか。あと20年位経って,徳大寺さんが「最近のクルマはだねえ・・・・・」と,どんな評論を下されるか是非聴きたかったところです。
10年ほど前にお仕事でお会いした頃には,既に病魔と闘っておられた頃でしたが,古いジャガーの4ドアがお気に入りで、そのダンディな佇まいと説得力の有る口調、日本の自動車史の中で,決して忘れることの出来ない存在であることはコレからも変わらないだろうと思います。永年のご活躍を讃えますと共に,慎んでご冥福をお祈り致します。(11/7)