2014年10月17日
昭和の名車・TOYOTA2000GT(MF10)
トヨタが豊田佐吉の生誕100周年を記念して1967年に発売したのが最上級車のセンチュリー。今でも生産が続けられ、法人需要や個人オーナーのフォーマルな足として活躍、V型12気筒のエンジンは国産車唯一の存在として異彩を放ちます。
いっぽう同じ1967年に発売され今も根強い人気の名車がトヨタ2000GT。
当時日産と合併直後のプリンス自動車にもスカイライン2000GTが存在しましたがこれはあくまでも乗用車のボディと高級車のエンジンの組み合わせ、既製服のコーディネートの妙でした。一方のトヨタはエンジンの一部を除いて全部がこの車のための新開発。ただ一車種のために何から何まで新開発というのは最近ではGT=R,レクサスLF-Aの例があるくらいで、なかなか日の目を見ないプロジェクトです。もちろん、こんな車で採算などとれるはずもなく、赤字覚悟の出血サービス、ある意味とってもお買い得な商品でもありました。
当時のクラウンの二倍以上もする二人乗りの乗用車がどうしてお買い得なのか?足回りはロータスヨーロッパにも通じる立体的な骨格に四輪とも独立のサスペンション、後日登場したフェアレディZが量販車の足回りを巧みに組み合わせ、フレームのない昆虫みたいなモノコック構造のボディで大量生産されたのとは大きく異なります。だから屋根を切り落としてオープンカーにするのも朝飯前!
トヨタ2000GTはもうひとつの側面で有名になりました。007シリーズ当時の最新作でボンドカーに抜擢されたのです。開発中のモデルをオープン化し、若林映子とショーンコネリーを乗せてさっそうと日本の街を駆け抜けた姿をフィルムに焼き付けています。生産型とはワイパーの位置やライトなど細かい違いはあるものの日本車で現在唯一のボンドカーの地位を保っています。
2000GTはもう一つ使命を帯びていました。テストコースを昼夜連続で何周も走り続け、6~72時間、1000~1万マイルを(平均)時速205km以上で走破するという、世界記録の樹立です。つまり今まで追う立場一辺倒だった日本車が初めて世界でトップの性能を獲得し、追われる立場に変わった瞬間です。日産もこれと前後して同様の世界記録を塗り替えますが、こちらは純粋なレーシングカー。市販されているトヨタとは大きな違いです。やがてこの車のエンジンはスカイラインGT-Rに搭載され伝説的なスカイライン人気を築くことになりますが・・・・・・
生産中止後に中古車店で見かけた150万円というのが今までで最も安い物件、それが40年以上経った今、8倍以上する値段で売れるんだから、あの車買った人は諸経費を含めても相当な利益が・・・・でも、トヨタ2000GTの売上は総数330台あまり、単価は238万円だったので単純に計算すれば売上は8億円にも届きません。今日一車種に3~400億円はかかるという開発コストをそのまま販売台数で割ったらたいへんなことになりますが、どう考えても当時の8億円でこんな車は開発できません。その膨大な開発費用はおそらく赤字に計上されたことになりますが、売上以外にも多大な利益を会社にもたらしたはずです。この車からトヨタのツインカムエンジンの歴史が始まったのも同然、のちにDOHCが高性能のエンジンの代名詞ともてはやされるようになったのも、搭載されていた3Мエンジンの功績の一つと言えるでしょう。
トヨタのブランドイメージ、後のツインカムブームとその売上への貢献、今から思えば案外安い投資だったのかもしれません。そんな赤字覚悟の車がゴーサインを出され、日の目を見たのは今と違って高度成長に湧き未来を夢見た時代だったからこそ、なのかもしれません。