2014年04月10日

使われなくなったホームの行方・・・

 渋谷,恵比寿、原宿といった山手線西南と北千住,押上を結ぶ路線は日比谷,千代田、半蔵門の三路線があります。大手私鉄と相互乗り入れし、東武やJRとも接続します。霞ヶ関、日比谷、大手町といったビジネス街で交錯しているところも良く似た特色です。
 比較的あとから出来た半蔵門線は渋谷〜青山〜赤坂見附手前まで銀座線と同じ青山通りの地下を進みます。表参道駅のホームは銀座線と共有、この場所には元々銀座線の駅がありませんでした。正確に言うと青山学園院寄りに少し離れていました。そこで半蔵門線と一緒に新たな表参道駅ホームを新設し、引っ越しさせています。今でも表参道駅のホーム渋谷寄りに灯りの消えた旧いホームが残っています。Imgp1754
 過去には期間限定で車内にいる乗客のみが、使用しなくなったホームにある広告を見られるという初の試みも・・・

 地下鉄半蔵門線は渋谷で東急線と接続、田園都市線につながって神奈川県中央部を目指します。最初の開通区間が半蔵門までだったので、この名前が路線名になりました。大手町も三越前も通るのに・・・・です。永田町の駅では赤坂見附と繋がっています。有楽町、南北線とも立体的に接続し、端から端まで歩くとちょっとしたお散歩の距離になります。三越前、水天宮前と開業区間が延びるたび行き先表示も代りましたが、ついに押上で東武線と接続、相互乗り入れを果たしました。たまプラーザから日光・会津方面まで、改札の外に出ること無く一筆書きの旅が出来る様になったのです。
 二子玉川まではまだ地下を走りますが渋谷からは東急線の営業区間/新玉川線と呼ばれました。今では民鉄随一の混雑度を誇り、一車両に12箇所のドアを持つ6ドア車が配備された私鉄もここだけです。じゃあ旧玉川線はどこにあった?もう。40年以上も前確かに玉川線は存在しました。今の東急・世田谷線はその名残です。 元々渋谷と二子玉川を結んでいた玉川線は二両編成の路面電車スタイル。三軒茶屋で枝分かれしていたのが世田谷線です。首都高速3号線の工事もあって路線は廃止、同じルートを地下深くすすむ新玉川線はその生まれ変わりでした。そもそも田園都市線の最初の起点は大井町駅。二子玉川は通過駅のひとつでした。それが新玉川線乗り入れで、大井町線は分離独立する形で切り離されてしまいました。溝の口から荏原に通勤する人にはちょっと悲劇でした。

| 10:59 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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