2013年12月27日
マスコットはウサギ
今月80周年の節目を迎える日産自動車の前身はDAT(ダット)自動車と呼ばれていました。DATとは出資者3人のイニシャルに由来しますが、脱兎の意味も掛けていたようです。何より証拠にフード上にウサギのマスコットが! そんな日産の80年の歴史を物語るクラッシックカーが横浜に集結、市内をパレード走行しました。戦前のダットサンも含めて皆、車検・ナンバー付きの現役で今でも大切にされている車両を沢山見かけました。
北米では戦後、ダットサンのブランドは安価で高品質な日本車の代名詞、ダッツントラックやZカーが日本製品の代表選手でした。日本では60年代中頃からスカイラインGTに始まるサーキットでの活躍、ブルーバード、フェアレディの時代に確立されたラリーの王者としてのイメージなど、技術の優位をセールスポイントにしていました。
datsunはそもそもDATの息子、SON(datson)とされたのを損につながる,と云う理由でDATSUNに改めたいきさつがありました。そんな日産の歴史の中でも20世紀末の巨額な債務は大きな危機でした。ルノーから資本を受け入れ、やり手の社長を輸入して難局を乗り切ったのが今の日産です。軽自動車の開発、販売店の統合、社内改革、幾つもの変化を乗り越えて今も日産を強く印象づけているブランドの双璧と云えばフェアレディとGTーR。ゴーン社長の強い希望でどちらも復活にゴーサインが出されました。
1970年のチェリーでは国内大手でいち早く前輪駆動を採用し、800万通もの応募から名前を公募して決めたサニーは大衆車のジャンルでカローラと長年トップを争いました。セドリック・グロリアの4ドアハードトップは国産初、80年代のハイソカーブームのルーツとも云える人気車種でした。ゆっくり走ろう(ローレル)、ケンとメリーの(スカイライン)と云ったキャッチフレーズも社会に深く浸透し、CMソングがラジオで頻繁にリクエストされたのもほかのメーカーでは経験のないトピックでした。バブル期にはシーマ現象と云う流行語まで産み出しバブル時代を象徴する出来事のひとつとなっています。
今,あらためてパレードに参加したクルマを眺めてみると記憶に残るクルマの実に多いことに驚きます。プリメーラ、シルビアといった走りの得意なクルマたちが排ガス規制強化や販売不振を理由に廃盤となったものの、高価なスポーツカーは辛うじて命脈を保っています。
これからのクルマ社会がどのように変化してゆくか,予測はとっても難しく,商品企画も困難を極めそうですがこんな時代だからこそ夢のあるクルマの登場を願いたいモノです。