2012年11月22日
石田三成の屈辱
今から400年ほど前の関東地方。後北条氏の居城、小田原城が豊臣軍勢に包囲され、この決戦(小田原征伐)の裏で秀吉のナンバー2=石田三成率いる2万3000の兵が、「手柄をあげる為に」と攻略目標に据えたのが、現在の埼玉県行田市付近を拠点としていた武家、成田氏の居城、忍城(おしじょう)でした。成田家城主の代行泰季(やすすえ)の死去により、開戦後まもなくして指揮をとるハメになってしまったのが城代・代行の長親(ながちか)つまり「のぼう様」でした。
戦(いくさ)に長けている訳でもなく、かといって好きな田植えを手伝うものの、村人がいちいち植え直すほどの不器用な人物は、しかし20000を越える大軍勢を相手にドンキホーテさながらの無謀な戦いを挑みます。
たった一週間のうちに敵に総延長28キロといわれる堤防を築堤され、「水攻め」という文字通りの兵糧攻めの作戦を仕掛けられた長親に勝算はあるのか?
TBSが開局60年の記念に製作していた映画「のぼうの城」でしたが
公開直前に起きた大津波の被害と、劇中の水攻めのシーンが重なって見える、と云う問題が発覚し、一年あまりの公開延期となってしまった作品です。
原作はベストセラーの同名小説、主演に野村萬斎、栄倉奈々を据えてCGを多用した合成画面の城郭や城下の風景が多数登場します。ロケの大半は北海道でのモノですが、城は実際に埼玉県行田市に存在したもの。
野村萬斎演じる長親も勿論実在の城主で、二万の軍勢にたった3000の兵、領民や家臣達を守り抜いた戦史も、実際に起きた出来事です。劇中の振り付けは野村萬斎自らが手掛けており、この映画のクライマックスシーンを彩っています、ホンモノののぼう様が芸達者だったかどうかは兎も角、庶民に愛されたフレンドリーで飾らないキャラクターを見事に演じているのは、流石野村萬斎ならでは、と云った所でしょうか?
映画の通りだったとすれば、日頃から領民の傍に立ち、喜怒哀楽を共にする。そんなリーダーだったからこそ、落城の一大危機に瀕して、庶民の多大な援軍を期待出来る・・・・
どこかの国の宰相たちにも爪の垢を煎じて飲ませたいようなエピソードです。