2010年12月23日
ツイッター禁止令公布へ
購読すれば巨人戦のチケットが手に入る大手新聞の記者や
日本代表選手がお泊りして従業員が暴露した高級ホテルの例など
秘密が保持しにくくなった昨今の世の中になりました。・・・・・
メディアの一年;今年一年を振り返って一番印象的だったニュースは何でしょう
キムヨナに負けた真央ちゃん?国民が謝った岡ちゃん?
鉱山の中で愛人騒動が先に表に出てしまい、出づらくなったバリオスさん?
逮捕されたシーシェパードのベスーン船長と釈放された中国漁船の其雄船長?
・・・も、そうでしたが突如ユーチューブ上に現れた問題のビデオ映像。
この一件は様々な問題を孕んでいます。同じ頃顕在化したウィキリークス問題
情報漏洩といった新たな問題も噴出したのが今年の特徴でした
警視庁の機密漏洩問題もきょうになって警視庁が
機密文書の漏洩を半ば認めた見解を示しています
領土問題や日中関係はひとまずおいて置くとして、来年からの
マスメディア、ジャーナリズムのあり方に大きな一石を投じました。
ウィキリークスについては来年もきっと多くの論議の的になるでしょう
ジャーナリズムの形というのも大きく姿を変えてゆきそうな気がします。
そして、
4月ごろでしたか、ポーランドのカチンスキ大統領乗せた旅客機が
ロシアで墜落した事故がありました.
BBCよりもcnnよりも、いち早く現場の状況を手に入れられた手段は
ツウィッターや関連する写真掲載サイト群でした。
昔は電波や印刷所といったインフラを持ったものだけが伝えられた情報
今ではアイフォーンひとつあれば、特ダネ記者を出し抜くことは簡単です。
ストリーミングによる生中継が今年ほど話題になった年もないでしょう
来年はもっと目にする機会が増えているかもしれません。アナログ
地上波放送という媒体が消える前に、既存のメディアが大きく方向転換を
余儀なくされて居るのかもしれません。放送電波や印刷所が無くても
独りの人間が大多数を相手に情報を発信出来る世の中になっているのです
放送が生まれた20世紀、それ以前に新聞がマスコミュニケーションという
大量情報伝達手段を確立していましたが、これに速時性という武器を
手に入れてマスコミの寵児となりました。しかし20世紀の終わりになって
インターネットがP to P(個と個、個と多数)のコミュニケーションを
可能にしました。今までガリ版頼りだったミニコミが放送と並ぶメディアを
手に入れたのです。
ユーチューブやフェイスブックなどの新しいネットワークソサエティの
出現で国境の無い単一の世界共通のコミュニティが生まれた訳です。
こうしたネットワークによりコミュニティの出現で心配なこともあります
流言飛語の類い、大きな災害に際してはこれが元で多くの犠牲を
伴ったこともありました。ネットワーク社会もひとつ間違えば
トイレの落書き以下の書き込みで埋められかねません。脅迫内容を
書き込んで逮捕されるケースも段々顕著になって来ていますね。
盗撮画像のアップもしかり、治安無き社会を防ぐにはそれなりに
監視する機能も必要になって来るのが現実です。政府単位で情報を
制限してしまうケースだって存在します。同じアジアには
呟ける者や顔の本が自由に閲覧出来ない、という国が実際に存在します
ちなみに、こうした地域でj-waveのホームページを開いてみると
あらら、ちょっと様子が違うぞ・・・・
何でも知りえたことを広めりゃあそれでいいのか?
厄介なのは一度広めてしまったコンテンツは、即座に複製され
再攪拌されてしまうこと。当事者がいくら削除したって
増殖をとめることはまず不可能です。グーグル=ストリートに
偶然写っていた自分の洗濯物を女性が見つけてしまい
ショックで仕事すらも出来なくなったとして訴訟を起こしています。
情報を伝えるにあたって、その行為が果たして意義のあるものなのか
誰のための伝達、利益となるのか。ジャーナリストたちが日夜
腐心しているプロセスを、一切スルーしてこうした新しい媒体が
情報を無造作に広めてしまう。果たしてそんな世の中でいいのか?
今までだったら、放送局に映像が送りつけられたとしても
果たしてそれが本物か、放映して不利益をこうむるのは誰か
吟味を重ねた上で放送する、しないの判断がなされていました。
しかし、ユーチューブとなると駅の掲示板同様、何を書き込もうと
物理的には何でもアリです。監視の目も常に光っているとは限りません
アップした映像は少なくとも誰かが制限するまでは世界中の
(一部の地域を除いた)ウェブ網に広まってしまいます。速報性や信頼性で
マスコミュニケーションの優位が来年にも揺らいでしまうようなことは
ないでしょうが、五年後10年後はどうでしょう?
今までは
広告収入や購読料によって労働の対価を得てきたマスコミのありかた
も、もう一度考え直すべき時代が来るかもしれません
今までは情報を手に入れ、それを伝える対価として新聞購読料や
放送受信料があり、スポンサーの提供という収益があって、
マスコミュニケーションを支えて来ました。
今、ポータルサイトなどで、新聞や通信社から提供された記事を
私たちは何の対価も支払わずタダ見して居る訳です。新聞や放送が
ほかの収益を挙げているうちはそれでもいいかもしれませんが、
いずれそうはいかなくなるのは明白です。情報の提供に対して
正当な対価が支払われる仕組みを作っておかないと・・・・
通信社も報道部もボランティアで仕事に励んでいる訳ではありません
高額な機材だって資本が無ければ構築出来ないものばかり。
営業収入以外の利益でこれらを運営するにはどうすればよいのか
ポータルサイトの新聞記事内容はいずれ全て有料購読契約者のみが
閲覧出来る様になって行くのか?
まだまだ、わからないことばかりです