2010年12月21日
日本航空発祥之地
東京渋谷の代々木公園内にある日本航空発祥の
記念碑です。
1910年12月19日、この地から日本で初めて
飛行機が飛び立ちました。
今から丁度100年前の出来事です。
公開試験飛行は12月14日から始まり、
徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が操縦取得の
ために派遣されたヨーロッパから持ち帰った
アンリ・ファルマン複葉機とグラーデ単葉機の
エンジン調整が行われました。
日本初の動力飛行を一目見ようとつめかけた数万の
観衆の前で、日野大尉の操縦するグラーデ単葉機が
ゆっくりと地上滑走を始めると、なんと!風の影響か
機は徐々にスピードを上げ、60メートルほどジャンプ
をします。
60メートルというのは、当日取材に集まった新聞社
の記者の一人が書いた記事によるもので、後にこの
記者は確かなものではなかったと述懐しています。
この日は公式な飛行設定日ではなかったことと、
操縦によって飛行機を自在に飛ばせたものでは
なかったために、正式な飛行記録とは認められま
せんでした。
エンジン調整や天候不良で数日が過ぎ、ついに
運命の19日がやってきます。
この日、まだ明けやらぬ早朝からエンジン音が
鳴り響き、各地から集まった観客は10万人近くに
膨れ上がっていました。
当時の代々木錬兵場は、現在の代々木公園よりさらに
広かったようですが、それでもあの地に10万人近くが
集まったことを想像してみて下さい。
いかに初飛行に対する関心が高かったかが分かります。
最初に滑走を開始したのは徳川大尉の操縦する
フランスのアンリ・ファルマンでした。
やがて機はゆっくりと地上を離れ、高度70メートル、
滞空時間4分、飛行距離約3000メートルの初飛行に
成功しました。
次いで、日野大尉の操縦するドイツのグラーデ単葉も
空へ舞い上がり、高度20メートル、滞空時間1分20秒、
飛行距離約1000メートルを飛行しました。
かくして日本初の動力飛行に2人は成功したのです。
記念碑を見守るように左側に建てられている徳川大尉と
日野大尉の胸像です。
こちらが右側の徳川好敏大尉です。
その名前からお分かりのように清水徳川家の当主です。
初飛行は徳川大尉が男爵だったため、徳川大尉を
優先させたとの説がありますが、これは当てはまらないと
思います。
こちらが日野大尉です。
熊本県人吉市の出身で、旧相良藩士の長男として
生まれています。
おとといの19日には地元から関係者が訪れ、胸像の前で
記念式典が開かれました。
こうして記念碑の前に立っていると、100年前の当時の
熱狂に包まれた状況が目に浮かんでくるような気がします。
日本の航空の基礎を築いた地球物理学者の田中館愛橘
(たなかだて・あいきつ)も、その立派な髭を生やしている
のも忘れて顔をクシャクシャにし、万歳をしながら駆け寄った
と伝えられています。
今やどちらが先に飛行したのかは問題ではなく、2人が
同時に偉業を成し遂げたのだと、この地に立って感ずるので
ありました。