2010年11月30日
私のラジオデイズ95
あす12月1日、ラジオが生まれ変わります!!
IP(Internet Protocol)サイマルラジオ、
いわゆる「ラジコ」の本格運用が関東地区と
関西地区の地域限定ですがスタートするのです。
「ラジオ」の妹「ラジコ」と覚えてください!
ラジオはこれまで何度かの大きな変革を
遂げてきました。
戦後、それまでの据え置き型ラジオから
ポータブルラジオへの変革、FM放送の登場、
文字情報が楽しめるFM文字多重放送の開始、
そして、今回の「ラジコ」の本格運用です。
前にもお話しましたが、昔、ラジオは神棚とほぼ
同じ高さの位置に据え置かれていました。
子供がラジオを聴く時は、椅子を持ってきてその
上にあがり、背伸びをしてラジオのダイヤルを
ひねってスイッチを入れ、もう一つのダイヤルで
チューニングをして、お目当ての放送局を選び
番組を楽しんでいました。
子供の頃、ラジオ番組は自分の背よりも高い位置
から降り注ぐ音のシャワーでした。
もちろん、今のような高音質の番組は望むことは
出来ず、ザーザーという雑音の中からかろうじて
番組を聴き分けるソナーのような技術が必要でした。
それゆえに神経が研ぎ澄まされ、集中力も磨かれて
当時(昭和20年代から30年代)のラジオ番組の
テーマ音楽や語り部(ナレーター)の声を今でも鮮明に
覚えておくことが出来たのです。
やがて、ポータブルラジオが発売され、ラジオは布団の
中で寝ながらでも聴けるようになりました。
当時、ポピュラー音楽(懐かしい響きです)や映画音楽の
カウントダウン番組のヒットランキングを英語の単語帳に
よく書き残したものです。
一番聴いていたのは、文化放送の「ユア・ヒットパレード」
です。
担当の茂木アナウンサーは憧れで、私がアナウンサーに
なってからお目にかかってお話をさせて頂いた時のことは
今でも鮮明に覚えています。
1970年、東京に初の民間FM放送のエフエム東京が開局
しました。
それより10年前の1960年にFM放送の実験局がスタート、
後に実用化試験局になったエフエム東海が試験放送を始めて
います。
私はエフエム東京が開局する3年前の1967年にこの
エフエム東海に入局しました。
以来、FM放送一筋に現場で放送に携わってきました。
スポーツ中継以外のあらゆる種類の番組を制作したり
出演してきました。
そうした中で体験した様々な出来事はこれまでの「私の
ラジオデイズ」でお話していますが、40数年もFM放送の
第一線で仕事をさせて頂いている事に、今は感謝をする
ばかりです。
今またラジオの歴史に新しい一ページが記されようとして
いるこの時を迎えて、改めて身の引き締まる思いがします。
明日から、これまでラジオが充分に楽しめなかった難聴取
エリアの方々にもインターネットを通じて高音質の番組を
本格的に楽しんで頂けることになります。
ラジオの楽しさを誰よりも知っている(経験のある)つもりの
私が申し上げるのですから確かです。
「ラジオは夢を叶えてくれる魔法の玉手箱です」と
申し上げても過言ではないでしょう。
分解せずにそのままでお楽しみを・・・・・・・・(笑)
皆さんも是非!新たなラジオルネッサンスの魅力を存分に
味わってみて下さい。
ちなみに、「ラジオ」の妹「ラジコ」とは、J-WAVE社長が
私に仰った言葉です。