2010年01月31日
まいにちまいける
待望のThisi is it DVD
もうお求め済みですか?
近所のお店では売り切れで入荷待ちの店舗すら!
もう、毎日だってあのリハーサルの映像を楽しめるばかりか
ダンサーの振り付けをコピーすることだって可能
スタッフがインタビューでも答えている通り
ここまで作り込んだステージをせめて初日だけでも
陽の目を見せたかった・・・・そんな想いが
この映像には集約されています。
特典映像にはオーディションの詳しい模様や
マボロシとなった衣装デザインの詳細など
映画には盛り込まれなかった内容も豊富で
これはまた、お値打ちもののディスクです。
マンインザミラーのMJエアーの意味も判ったし・・・・・
忙しくて、まだ二枚目のディスクを見ないで書いていますが・・・・Wanna Be Starting Something・・・
最前列に近い席でかぶりつく様に見て来たスクリーンのマイケル
まるで舞台の袖から見上げた様なリアル感たっぷりの映像でした。
編集の巧みさもあり、メイキング映像というより普段着のままの
最終通し稽古に立ち会っているかのようでした。
お馴染みのナンバーもアレンジ、振り付けに手を加え
終盤にかけて訴え掛けていたメッセージ、新しい曲目も
これからの方向性を暗示する示唆に富んでいました。
(是非、映画で確認して欲しいです)見事な構成です
衣装だけ、あとから本番用のモノをCG処理で
被せてしまえば、コンサート本番ビデオ作成も
夢ではないと思います。(三年くらいかけて・・・)
バックで踊るダンサー達も、心からこの仕事を
楽しんでいるかの様な笑顔を舞台で見せています。
美人ギタリストをいかに引き立てるかに砕身し、
演出、楽曲の細かい部分まで自分で納得ゆくまで
手直ししている仕事ぶりもはっきり判る内容でした。
こんなに沢山、覚えきれるのかな?と思うくらい
(だから記録用にビデオに収めていたんでしょう)
きっと神経質な彼のことだから寝不足で仕事に臨むのは
何よりも辛かったんでしょう。クスリを多用しても眠らねば
と悩んだ苦しみは、寝付きの悪い私には痛い程よく判ります。
バックで踊っていたダンサー達、バックバンド、ステージスタッフ
誰もがロンドンのコンサート完成を夢見て、・・・・大きな落胆、
悲しみを味わったことは想像に難くありません。
残念ながら生マイケルを見る機会は逸してしまいましたが
もしも、ロンドン公演が実現していたら、日帰りで観に行っても
惜しくはなかったでしょうね。コンサート実現できなかったこと
彼がもう二度とステージに立てないこと
重ね重ね残念です。これっきり/That's It!いよいよ現地時間火曜日、史上最大級の追悼式典が始まりました
マライアが歌うI'll Be There、涙が止まらない・・・・
追悼公式HPはここ
http://michaeljacksonfuneral.org/大御所スティービーはHuman Nature の1節を口ずさんだかと思いきや・・・
NYでは日曜日のゲイプライドパレードでも
この曲が高らかに鳴り響いていたようです。
勿論アルバムセールスでも,グラミー受賞歴でも
比類の無い業績を積み重ねたばかりでなく
1985のUnited Support of Artists for Africa では
Lionel Richie と作詞・作曲を担当し、
Quincy Jones も加えて基軸的な役割を果たします
'til you get enough クインシージョーンズのプロデュースで
マイケルがソロでスター街道を歩き始めた
記念すべき第一歩。Off The Wallの一曲目が
Don't Stop 'Til You Get Enough でした。
20代、30代のお若い方には想像がつかないかも
知れませんが,当時お家にビデオデッキが有って
スリラーのテープを持っている,とすれば、噂は
町内中に広まったほどでした。日本中で
(老)若男女がその振り付けをマネしたのは
おそまつ君に出て来るイヤミの「シェー」以来
だったかもしれません。
20代半ばにその業績のほとんどを築き上げてしまった人生
残りの二十数年は重圧との戦いだったかもしれません。
CNNでは丸一日以上経っても「Thriller」のビデオを何度も
繰り返しオンエアして、各国の反響を伝えつづけています。
同じ時代を生きた同年代のスーパースター
21世紀は彼を超える偉大な存在を生み出すことが
できるのでしょうか?............