アトムは発表当時、50年後の2003年4月7日を描いた
作品で、実際に2003年、人類が到達したのは
アシモという二足歩行のロボットどまりでした。
アトムが生まれた筈だった半世紀先の未来には・・・・・
自動車工場では人間の代わりに産業ロボットが大活躍し
コストダウンと生産効率向上に貢献を果たしています。
いまや地球上の車の10台に1台は日本列島の上に
乗っかっている計算。海外の日本車工場でも
国内を上回る日本車が生産されています。
半世紀前、ホンダスーパーカブが生まれるころまでは
マイカーなんて夢のまた夢。庶民にはスクーターか
三輪トラック、エンジンつきの耕運機がせいぜいでした。
それも商用ユースがほとんどで、家族がドライブを
楽しんだり、通勤、買い物にマイカーを運転など
遠いアメリカの夢物語でした。
日本車を海外に輸出して外貨を稼ぐなどとは
想像を逸した夢物語でした。当時の国産車はアメリカに
持ち込まれたものの軒並み時代遅れの、粗悪品扱い。
東名、名神といった高速道路はまだ存在せず
新幹線も着工前。連続高速走行出来る国産車の開発は
急務でした。
北海道から九州まで国内で石炭が採掘され、
今よりもエネルギーの自給率がはるかに高い時代。
マイカーが行き渡る前の国土には隈なく鉄道路線が
敷き詰められ、石炭を動力にした蒸気機関車が
客車、荷物、貨車を引っ張り、非電化区間を
駆け巡っていた時代でもありました。
モーダルシフトのほかに情報通信産業でも
目覚ましい変化が起きています。とりわけ
半導体をめぐる技術革新は目覚しいものがありました。
集積回路が家電製品に取り入れられたのは
アトムが世に出た10年くらいあと。ラジオも小型化し
電卓が生まれ、コンピューターの中央演算回路も
小さなチップに収められるようになり、デスクトップ
パソコンがラップトップ、パームトップへと進化して
電話と一体になり持ち運べるまでになりました。
無線通話はもちろん、文字情報の伝達や映像伝送
といった夢物語が次々と実現したのはご存知のとおり。
放送の世界では産声を上げたばかりの民間放送が
市町村単位のミニコミエフエム局にまで身近になり
遠く海外の放送もリアルタイムで視聴できるまでに
発展しています。が、
ずっと右上がりの成長を続けてきた商業放送も
転換点を迎えた感があります。台頭するネット広告
の出稿量はいまやラジオの広告収入を凌駕するまでに
なり、この勢いがどこまで続くのか戦々恐々の思いで
見つめているのが、正直なところではないでしょうか?
出版業界ではこの携行はさらに顕著で、広告収入が
集まらないため廃刊する老舗雑誌が後を絶ちません。
youtubeやtwitterのような一般参加型のサイトが増え
メディアがマスに向けて情報を一方的に(独占的に)
伝達するというやり取りは、伝達手段の一部にしか
過ぎなくなっています。
最近テレビの広告の中に墓石や葬祭関係のものが
多くなってきた気がしませんか?規制やモラルが変わった
という理由以外に、メディアが視聴者といっしょに
歳をとってゆく、ということの表れなのかもしれません。
ケータイの広告にだって、あと50年もすれば
web寺院やセラミック墓石の広告が氾濫しているかも
しれませんね。
そうした状況の中でマスコミが収益を確保した上で
良質な情報を定期的に送り続けることが、恒常的に
可能なのかどうか。新聞社の相次ぐ廃業や合理化
(北米での)を見ているとメディアのあり方もこの世紀
のうちに印刷革命以来の激変期を迎えるかも知れず
もう一度深く考えてみるタイミングに到達してしまったのかも
知れません。
音楽の分野ではそれまで存在しなかったデジタル音源
の登場で、実在の音から架空の音まで、さまざまな
音源を利用できるばかりか、サンプリングで嘗ての
名曲を再びヒットチャートに引っ張り出す裏技まで
できるようになりました。
レコード店とは名ばかりで,データを売買すれば
それで済む時代、CDですら売れなくなって来ています。
加藤和彦さんが『もうやるべき音楽が無くなった」
と言い残して,本当に天国に行ってしまった~
現代はあの頃と較べて幸せな時代と言えるのだろうか?
さて、話し戻って歩行アシスト機器
カーボン素材で軽量化し,パワーアップした
タイプRが市販されれば,マニアは競って買う
かも知れません.中高年が登山用に買えば
ホンダの収益も改善しF1参戦再開に道が開ける
かも。
とまるさんには水着やオフィス・スーツ、ドレッシーな
カクテルドレスのほうが、より似合います。たぶん