2009年07月13日

私のラジオデイズ79

衆議院選挙の前哨戦として注目された
東京都議会議員選挙は、民主党が大躍進し、
初めて第1党となりました。

自民党への批判票の多くが民主党に集中した
と言えると思います。

若い人たちの投票行動はどうだったのでしょうか?
「世代交代」というのもキーポイントだったと思います。

さて、国会記者として仕事を始めて間もなく、
史上初の衆参同日選挙が実施されました。
1980年6月22日のことです。

この選挙は、時の内閣総理大臣、大平正芳の
急死によって弔い合戦となり、与党の圧勝という
劇的な幕切れとなりました。

国会放送記者会に所属する民放ラジオ局の
記者、特に在京ラジオ局の記者には選挙の際に
各党の党首の第一声を収録するという重要な
仕事があります。

党首の第一声は公示の受付が始まって、各候補者が
一斉に街中に飛び出して間もなく街宣車の上で行われます。

従ってその第一声は昼のニュースに間に合わせなければ
なりません。

各社の取材記者がそれぞれの党首の第一声を収録
すればいいのですが、これでは非効率的ですし、
党首の手元に各社のマイクが集中することになります。

これを避けるために、民放クラブでは党首の第一声を
各社で分担取材することになっています。

つまり、A社は自民党、B社は民主党、C社は公明党、
D社は共産党、E社は社民党などと役割をそれぞれ
分担したのです。

どこの社がどこの党を担当するかはくじ引きで決めました。
大平内閣の時、私が担当したのは自民党でした。
これは責任重大です。決して失敗は許されません。

自民党との事前打ち合わせで第一声を行う場所や時間を
確認し、いざ、現場に出陣です。

5月30日の公示の日、私が現場に到着したとき、
すでにテレビや新聞、雑誌の記者たち本番の準備を
していました。

やがて、大平総理が街宣車の屋上に上がり演説が始まると、
長いロッドの先端にマイクを装着し、街宣車の下から
大平総理の口元にマイクを近づけ収録を始めました。

今では、事前にマイクを束ねて各党党首に持ってもらい、
収録するのが一般的ですが、この当時は延長ロッドを使って
収録をしていました。

収録は無事終了し、急いで国会内のクラブに戻ると、
加盟各社に同時通話で連絡し、時間を設定して収録した
総理の第一声を各社に配信しました。

各社もそれぞれ収録してきた各党党首の第一声を
次々に配信します。

こうして無事、昼のニュース前に各党党首の音声を
送ることが出来ました。

ニュース放送時間帯になると、各社から一斉に各党党首の
第一声がラジオ通じて流れます。

この時の達成感は何とも言えないものがあります。

ところが、この翌日、大平総理は過労と不整脈で
東京・虎ノ門病院に緊急入院してしまいます。

この続きは、また次回に・・・・

| 07:20 | コメント(2) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、おはようございます!!
昨日・多田さんの22・23:55の特別ニュースから引き続き、今朝も天谷さんのニュースを聴いています!!
大平総理の急死、今鮮明に蘇って来ました・・・
当時自分は中3、お恥ずかしい話、政治にほとんど興味のなかった自分ですが、このニュース、確か選挙戦ちょうど10日前、12日(木)でしたね・・・
その時に、一番プレッシャーのかかる自民党ご担当とは・・・一瞬も気が抜けなかったでしょうね!!
その時の緊張と言ったら、想像に難くないでしょうね。

投稿者 ちなみん : 2009年7月13日 07:48

私は都議選の夜、NHKの開票速報を食い入るようにして観ていました(笑)。

開票速報やそれに伴う取材ってドラマチックだなって思っちゃいました。今回は結果が結果なだけにそう感じたのかもしれませんが、この記事を読んで「やっぱりドラマチックだ」と思い直しました。

投稿者 さとこん : 2009年7月16日 18:24

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