2009年01月18日
とんでもないお宝が・・・・
先日、所属する航空ジャーナリスト協会の
新年会が東京・浅草で開かれました。
満面の笑みを湛えて手に持っているのは・・・・・
そう!あのペンシルロケットです。
新年会では、毎年恒例のオークションを
行います。
会員が所属する企業や団体の関連商品や、
ノベルティグッズなどを持ち寄って、
オークションにかけるもので、そのほとんどが
航空関連商品とあって毎年、大変な人気となります。
今年も様々な商品がオークションにかけられましたが、
その中で最も注目を集めたのが、
この実物大金属模型のペンシルロケットです。
長年、日本の宇宙開発に携わった方が出品された
もので、箱からロケットが現われると、会場からは
大きな歓声があがり、それぞれが手に持っての
記念撮影となりました。
ご承知のように、このペンシルロケットは戦後の
日本に於けるロケット開発の基礎を築いたもので、
今から54年前の1955年3月11日、
東京、国分寺で水平発射実験が行われ、
その後、数十回にわたって行われた実験は、
国民的大ニュースとして新聞で大きく取り上げられ
ました。
当時はまだテレビはなく、ニュース映像は街の
映画館のニュースフィルムで見て大興奮したのを
覚えています。
小学校5年の時でした。
そのペンシルロケットを(模型とはいえ全長23cm
本物と同じアルミ製の実物大です)
こうして手に持つチャンスが巡ってくるとは、
思いもよりませんでした。
かつて、このロケット開発の主導を行った
糸川英夫博士にインタビューしたことがあります。
博士が現役を引退されて、第二の人生を過ごされて
いた時です。
博士は何と!バレエ(バレーボールではありません)
を趣味として選んだのです。
ロケット開発から一転バレエの世界へ、当時のメディアは
そのあまりにも極端な転身ぶりに注目しました。
博士のバレエ姿が紙面を飾りました。
この柔軟性こそが科学者の持ち味なのかも知れません。
で、出品されたペンシルロケットは、そのあまりにも
貴重性ゆえに落札されず、日本航空協会の預かりと
なりました。
個人で持つより、広く学術資料として利用したほうが
よいとの結論です。
続々と宇宙へ飛び出す日本人宇宙飛行士の心にも、
このペンシルロケット開発の熱い精神が宿っている
に違いありません。
その柔軟性の精神とともに・・・・・