2009年01月13日
私のラジオデイズ62
ラジオの影響力を実感した出来事が
ありました。
時間を少し戻して、泊まり勤務に
入っていた1968年頃のお話です。
当時、最終ニュースは午後11時50分からの
放送となっていました。
本番前にニュースルームでニュースの仕込みを
していると、突然、電話が掛かってきました。
ニュース本番直前でしたが、社内には私1人しか
いませんので、電話を取らざるを得ません。
電話に出ると、東京・広尾にある日赤の
医療センターからでした。
「お忙しいところ大変申し訳ありませんが、
現在手術中の患者の輸血用血液が足りません。
血液型はRH-です。放送で提供者を呼び掛けて
いただけるとありがたいのですが・・・・・」
突然の依頼に多少動揺しながら、メモを取ると
「分かりました。出来るだけご期待に応えられるよう
対応します」と申し上げて電話を切りました。
ニュースの本番まであまり時間がありません。
上司に相談する時間的な余裕もなく、
とにかく原稿にして、ニュースの最後に放送することに
しました。
最後のニュースを読み終わった後、「ここで皆さまに
お願いがあります。現在、日赤医療センターで手術中の
患者さんの輸血用血液が足りません。
血液型はRH-です。ご協力いただける方は、
日赤医療センターまでご連絡をお願いいたします」と
いった内容の放送をしました。
信じられないかも知れませんが、当時、輸血用血液は
民間の血液銀行による売血や一部の献血によって主に
賄われており、輸血に伴うリスクも大きかったのです。
(間もなく売血制度が廃止となり、100%献血で賄う
ことになったのは1974年、民放連の二十歳の
献血キャンペーンが始まったのは1975年の事でした)
放送の翌日、医療センターから局に電話があり、
一般からの献血によって手術が無事終了したことと、
協力に感謝する旨の報告があったようです。
間もなく上司から事情を聴かれ、放送のいきさつを
報告しました。
上司からは、「今回は事前に連絡する時間的な余裕は
なかったが、こうしたケースの場合は事前に連絡する
ように」との指導がありました。
他局にもこうした要請があったのかも知れませんが、
自分の判断で放送した結果、1人の患者が救われた
のだという達成感と同時に、あらためて放送の持つ
影響力の大きさを思い知らされました。
ラジオは、フットワークが売り物のメディアです。
状況に応じて的確な判断を行い、それを放送に反映
させなければラジオの価値や面白さは半減してしまいます。
ラジオ離れが叫ばれて久しくなりますが、現場で
働く一人一人がラジオの可能性を信じ、フットワークに
磨きをかけていけば、ラジオはまだまだ魅力のある
メディアであり続けると思います。
40年近く前の出来事を思い出しながら、ラジオの
未来について考えてみましたが、何事にも足腰が
肝心ということでしょうか・・・・・・
この時節柄、初心に帰るということも必要なのかも
知れません。