2008年10月12日
私のラジオデイズ50
2007年1月8日にスタートした
「私のラジオデイズ」もお蔭様で50回を
迎えることが出来ました。
これも皆様方のご支援の賜物と感謝しております。
これからも、薄れゆく記憶に鞭打ちながら、
続けて行こうと思いますのでよろしくお願いいたします。
しばらく「ジェット・ストリーム」の話が続いたので、
このあたりで終了して、何かまた思い出したら
お話しすることにいたしましょう。
今回からは、首都圏初の民間FM放送局となった
FM東京が開局する前後のお話をしていくことに
いたしましょう。
繰返しになりますが、私がFM東京の前身である
FM東海に入社したのは、1967年のことでした。
この当時、FM東海はFM放送の実用化にむけた
実用化試験局として東海大学が放送を行っていました。
その目的は、放送を通じて教育の機会に恵まれない
勤労者に高等教育を受けてもらおうというものでした。
1日2回、早朝と夕方2時間から3時間の放送枠を
通信教育講座に充て、国語や数学、日本史や
世界史などの教育講座を放送していました。
残りの放送枠は音楽を中心とした通常のプログラム
編成でした。
通信教育講座を安定した経営基盤で運営するために
残りの放送枠を通常番組に充て、スポンサーを
募って広告収入が得られるようにしていたのです。
このことは一方で、広告放送を認めた場合、既存の
AM放送などの放送事業者にどのような影響を
及ぼすかの実験放送の意味合いもありました。
折からのオーディオブームと重なって、FM放送は
一部の音楽マニア、オーディオマニアの間で評判となり、
徐々に一般のリスナーにも浸透していくようになりました。
1967年に放送がスタートした「ジェット・ストリーム」の
人気もリスナーの獲得に一役買いました。
ところが、このことが国会で問題となりました。
実用化試験局の運営に当っては、当時の文部省や
郵政省からスポンサーを獲得しても良いと認可されて
いました。
しかし、広告放送が認められていない実験局との区別が
曖昧なことから、国会で追及を受けたのです。
こうしたことから、国は放送で高等教育を行うのは
民間ではなく国が実施することでこれを継続するよう
方向転換し、FM東海に対しては「FM放送を
実用化するために必要な資料収集が完了した」との理由で、
1968年に実用化試験局の免許の更新を拒否してきたのです。
さあ、大変です!
1958年12月から始まった日本初の民間FM放送である
FM東海は10年程でまさに「風前の灯」となりました。
この続きはまた次回に・・・・・