2008年09月28日
私のラジオデイズ48
これは、その時ラジオを聴いていた
一部のリスナーと、一部の関係者しか
知らない事なのですが・・・・
「ジェット・ストリーム」の城達也さんは、
一度、喉を痛めて声がまったく出なくなり、
私がピンチヒッターを務めたことがあります。
ここだけの話ですが・・・・
それは「ジェット・ストリーム」の放送回数も
1000回を迎える頃でしょうか、記憶が定か
ではないのですが、ある時、ディレクターから
城さんの声が突然出なくなった事を知らされ、
急遽、ピンチヒッターをさせられました。
「ジェット・ストリーム」は城さんでもっている
ようなもので、何人たりともその聖域を侵す
ことは許されません。
にもかかわらず、突然のことなのでほかに
ナレーターや声優を起用することは出来ず、
逆に無名のアナウンサーのほうが都合が
いいとの判断がなされたのかどうかは
知りませんが、とにかく、「お前やれ!」
てな訳です。
正直、一瞬二の足を踏みました。
「私に出来るの!」 これが率直な感想です。
スタジオ収録の準備はすでに出来ています。
迷っている余裕などありません。
すぐに収録テープを完成させないと放送に
間に合わなくなってしまいます。
長い人生の間には突然とやってくる自分自身では
どうにもならない、運命のようなものがあるようですが、
私にとってはこの時がその運命なるものだったのでしょう。
とにかく、3日分ほど収録してその場はなんとか無事に
収まりました。
仕上がりが云々ではなく、なんとか城さんの真似事の
ような(真似であってもうまく出来るわけはありません)
ことをして、無我夢中だったことを覚えています。
数日後、またいつもの美声が戻った城さんに、
スタジオの廊下でお目にかかった際、
「先日はありがとうございました」と声を掛けられました。
何と光栄なことでしょう!
「ジェット・ストリーム」のナレーションを担当出来た上に、
城さんに声を掛けていただくとは・・・・・
これは、ひょっとしたら私の「白日夢」かも知れません。
前にもお話したように、城達也さんは放送開始から
番組を降板されるまで7387回の間、一度も休んだ
ことがないことになっています。
これが公式の記録で、その輝きはいささかなりとも
色褪せるものではありません。
衰えを増す私の記憶の中で、この記憶はやがて
忘れ去るものなのかも知れません。
その後間もなく、「ジェット・ストリーム」は放送
1000回を迎え、都内のホテルで関係者を
お招きしてパーティーが開かれました。
その時の司会を務めた記憶だけは今でもはっきりと
覚えています。