2008年09月21日
私のラジオデイズ47
午前0時、時報と共に聴こえてくるジェット機の
離陸音と管制塔の交信音、やがて、
遥か遠くから近づいてくる「ジェット・ストリーム」の
タイトルコール、そして、ミスターロンリー。
これを聴くと、きょうも一日無事に番組を送出できた
安堵感が全身を包みます。
「あと1時間、頑張ろう!」 そんな気持ちにさせて
くれるのです。 40年も前のことです。
「ジェット・ストリーム」を聴いたリスナーが
どのようなイメージの世界を思い描くかは、
人によって様々だと思いますが、私の場合は
どうしてもこの番組を送出していた頃の深夜勤務を
思い浮かべてしまいます。
当時のFM放送は、午前0時で放送が終了して
いました。
午前0時の時報のあとに、クロージング曲の
「歌は終りぬ(マントヴァーニ楽団)」が流れ、
音楽が終了すると、今日放送した番組の
テープを片付け、翌日放送の番組のチェックや
ニュースをチェックして仮眠につきます。
翌朝の番組開始まで4時間余り仮眠が出来ます。
ところが、「ジェット・ストリーム」がスタートすると、
放送終了が1時間延長され、仮眠は3時間足らずと
なりました。
放送番組の送出という極度に緊張を強いられる勤務が
1時間延びることになったのです。
普通ですと、精神的疲労がさらに増すところですが、
「ジェット・ストリーム」は逆に疲れた心を癒してくれました。
元来、飛行機好きだったこともあり、番組のオープニング
タイトルを聴くだけで満足な気持ちになりました。
「太陽が沈んでからもう随分時が流れました。
昼間の騒音と埃に汚された時間は・・・・・・」
うん?「ちょっと待って、それって今と違うじゃん!」と
思われた方、番組スタート時は、このナレーションでした。
(J-WAVEのヘビーリスナーの方はお分かりに
ならないでしょうが・・・)
その後、現在の「遠い地平線が消えて、深々とした
夜の闇に心を休める時・・・・・・・」になったのは、
1970年4月27日からです。
(この前日の26日日曜日にFM東京が開局しました)
番組の原稿はスタート時は伊藤酒造雄さんで、
1970年4月27日からは、劇作家の堀内茂男さんが
担当してらっしゃいます。
(堀内さんの他にも何人かの方々が担当していた
ことがあります)
堀内さんはすらりとした大変大柄の方で、
圧倒的な教養と共に、もの静かで控え目な謙虚さを
兼ね備えたとても素晴らしい方です。
立派な方なのに威圧感などは少しも感じられず、
当時、新人の私にも丁寧な言葉遣いで話をして
下さいました。
「ジェット・ストリーム」のナレーション原稿は、やはり、
魅力的な方から生み出されているのです。
話が逸れますが、魅力的なナレーション原稿といえば
もう1人、「音楽の絵本」を長い間担当しておられた
随筆家の串田孫市さんを思い出します。
登山家としても知られた串田さんは、私が高校生の頃、
小田原の山岳会の招きで市内で講演を行ったことが
あります。
(この時にガストン・レヴュファの「天と地の間に」という
傑作山岳映画も上映されました)
高校時代は放送部と共に山岳部にも所属していたので、
この講演を聴きにいったのですが、そのことを串田さんに
お話しするとびっくりされました。
堀内茂男さんと串田孫市さん、このお2人は、
FM東海時代の忘れられない方々です。