2008年06月30日
私のラジオデイズ35
入社後数ヶ月たってから、ある先輩アナの
泊まり勤務に一緒に付くことになりました。
いずれ一人で放送を行なうことになる訳ですから、
放送番組の送出から、ニュース編成、アナウンス技術の
習得など、実際の流れを覚えながら研修を受けました。
それから数ヵ月後、事件?が起きました。
泊まり研修での最重要項目は、番組の送出でした。
現在のように、番組をコンピューターに入力して
自動送出するといった便利なシステムはなく、
番組は6ミリのオープンテープに録音して、
それを、テープレコーダーにセットし、時間が来ると
手動でテープをスタートさせるという、まさに職人技で
番組を送出する時代でした。
テープレコーダーは、調整卓のアッテネーターを
回すことによってリモートコントロールでスタートし、
音量も調整できるもので、スタジオ内の椅子に
座っていればほとんどの機械は操作できました。
初めて番組を送り出した時には、さすがに緊張し、
手がかすかに震えていたのを覚えています。
そんな泊まり研修を始めて3ヶ月ほどたったある日、
いつものように、夜のシフトに入って実戦体制につくと、
先輩アナはこう言いました。
「きょうは一人でやってみろ!ニュースは僕が読むから・・・」
私「えっ!そ、そ、そうですか・・・・・・」
当時のFM放送は、早朝の時間帯と午後6時半から
午後9時まで、通信教育講座を放送していました。
働きながら勉強をしたいという人達にとって、大切な番組で
モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
(だと思いましたが・・・)のテーマで始まる30分ごとの
番組構成で、この番組が記念すべき送出の第1号でした。
番組をテープレコーダーにセットし、午後6時半に
番組を送り出しました。
番組を聴いているであろう大勢の受講生の皆さんのことを
思いながら、なんとか無事に番組の送出を乗り切り、
午後11時50分の最終ニュースを先輩アナが担当し、
午前0時の時報とともに放送終了のテーマ音楽を流して
長く緊張の連続だった一日が終了しました。
(当時はまだあの伝説の「ジェットストリーム」は
放送されておらず、記憶は不確かですが午前0時で放送が
終了していたと思います)
緊張から解き放たれて、半ば放心状態の私に先輩アナは
再び驚くべきことを言い放ちました。
「私はこれで帰るから、後は君一人で早朝の番組の立ち上げを
しておいてくれ!朝一番のニュースの前に来るから・・・・」
と言って、不安いっぱいの私を残しさっさと帰ってしまいました。
先輩アナは当時、スタジオ近くのアパートに一人住まいしており、
緊急事態が生じればすぐ駆けつけられる状態でした。
社内にたった一人になった私は、早速、日付が新しくなった
きょうの放送番組のチェックに取り掛かり、ニュース原稿の
整理も平行して行ないました。
(慣れてくれば仮眠も取れるでしょうが、この時はそんな余裕は
ありません)
早朝、先輩アナの出社を心待ちにしながら、一夜を過ごしました。
ところが、この後、とんでもない事態が待ち受けていました。
この続きは次回に・・・・・