2008年03月23日
星の王子さまを撃墜したパイロット
写真は、イタリアの模型メーカーから発売された
100分の1のロッキードP-38ライトニングです。
この機体、実は・・・・
見にくいですが、プラスチック製のスタンドには
「ⅡWW Aces A.de St. Exupery」と
印刷されています。
サン=テグジュペリが5機以上撃墜のエースというのは、
滑稽ですが、まぎれもなくこの機体はサン=テグジュペリの
愛機です。
先日、このサン=テグジュペリの機体を撃墜したのは
私ですというドイツ人パイロットが現れました。
そのパイロットの名は、ホルスト・リッパート氏88歳。
25~29機程度の撃墜記録を持つ元ドイツ空軍の
パイロットということですが、100機以上、中には
352機撃墜という凄腕撃墜王がざらにいるドイツ人
エースパイロットのリストにはこの人の名は見当たりません。
よく知られているように、サン=テグジュペリは
1944年7月31日、P-38Jの偵察型F-5Bに搭乗して
地中海方面の偵察飛行に出かけ、そのまま帰らぬ人と
なりました。
偵察機なので、機首に搭載されている武装の代わりに
カメラ5台を載せており、P-38の高速を活かした
偵察活動を行なっていたのです。
当時、ドイツ空軍の戦闘機はMe-109かFw-190が
主力で、Meー109G型やK型を除けば最高時速666キロの
P-38のほうが速力でわずかに勝ります。
武装のない偵察機が敵機の攻撃をかわすには、
スピードを活かして逃げ去るより他にありません。
サン=テグジュペリの機体の残骸は数年前、
マルセイユ沖で発見され、一部が回収されています。
アフリカ戦線も終結を間近に控えて、星の王子さまは
愛機を操縦しながら何を考えていたのでしょうか。
次なる作品の構想を練っていたのかも知れません。
「星の叔父さま」・・・・なんちゃって(笑)
そんな状態の時、後ろから(だと思いますが)攻撃を
仕掛けられたらひとたまりもありません。
サン=テグジュペリは丸腰だったんですから・・・・
ちなみに写真の模型には垂直尾翼に機体番号の
268223と機首には223の数字が印刷されています。
機体の塗装は全体がスカイブルーで国籍マークは
胴体部分にアメリカ軍の国籍マークの形をそのまま残し、
円形の部分をフランス国籍、両側の矩形(くけい)の
部分は白く塗りつぶされています。
サン=テグジュペリの機体塗装については諸説があり、
今のところこれが彼の愛機だ!と断定する資料は
ありません。
以前、銀座で開かれたフランスの報道写真家集団
「マグナム」のブレッソン写真展の作品の中に、愛機の
前でくつろぐサン=テグジュペリの写真がありましたが、
(私の記憶違いかも知れません)模型の塗装とは
違っていました。
いずれにしても、世界的な作家でありパイロットでもある
サン=テグジュペリの最後は、謎としていつまでも
残しておきたい気分であります。
テグジュペリは私が生まれる42日前に行方不明に
なりました。