2007年10月21日
「N」の時代
団塊の世代が成人式を迎え、マイカー購入を考える頃
昭和四十年代初頭には各社から意欲的な大衆車が相次ぎ登場しました。
毎年乗用車の販売台数はうなぎ登り。
今の中国がとても良く似た状況です。
当時、二輪では人気のあったホンダも乗用車市場は未開拓。
初めて市場に投入した量産/新型軽自動車は31万円で31馬力。
これほどまでに高性能な軽をこんな安い値段で世に送り出したメーカーは皆無でした。
財布の軽い若者たちは勿論飛びつきましたし、
売り上げもスバル360を抜いて軽のナンバー1に
二年もしないうち、街は空冷4スト2気筒の甲高い
高回転エンジンの音で溢れました。このクルマなら
5ナンバーと対等に走れる、勿論完成しつつあった
名神や東名高速も不足無く走れます。このクルマの
助手席で口説かれて、団塊世代Jr.の母となった娘も
少なくない筈。
ホンダが乗用車メーカーとしての基盤を築けたのもこのN360のおかげ。スバルに遅れる事10年足らずであという間にホンダは軽ナンバー1のメーカーに成長していったのです。ホンダのクルマは高性能で、若者に好まれるという評価がこの一台で確立されたと言っても過言ではありません。
このあとホンダはF1参戦を中止してまで技術開発に人材を充て、
ホンダ1300、ホンダz、ライフ、シビックと
毎年のように新型車を発表してゆきます。
またも市場を驚かせたのは本格的な軽のスペシャリティーカー
ホンダZ
軽自動車の枠の中にあって美しさ、逞しさを
巧みにデザインしただけでなく、生産工程や
ロングルーフ、ハッチバックと言った思想も
時代を先取りしたモノでした。競合他社も
相次いでクーペモデルを投入。馬力競争も
過熱しました。
Nに代わる新時代の軽として登場したのがライフ
当時殆どの軽が2ドアだったのに対し、
4ドアの魅力を強烈に印象づけ、他社も
またまた追随する結果となるのです。
今や軽自動車はおろか、国産乗用車には
2ドアはごく僅かしか見当たりません。
日本車と言えば4ドアという現在の潮流は
この辺りに源流がある様です。
多摩テックにて
名古屋からやってきた若葉マークの男の子
東京に来たらj-waveが聴きたくって
と、周波数をたずねられました。
民放FMが殆どなかった時代のクルマの中に
j-waveの番組が流れる・・・・
狛江経由で帰ると話していましたが
放送、楽しんでもらえたでしょうか