2007年09月29日
「民」の時代
田中角栄総理の電撃的日中国交回復から35年
ホンダの大衆車シビックが誕生したのも昭和47年
札幌オリンピックが幕を開け、沖縄返還決定
麻丘めぐみ歌手デビューと大きなニュースが目白押し。
あらゆるクルマが大きく、豪華に変身してゆく中で
ホンダのシビックは地味なデビューを飾っていました。
空冷エンジンの信奉者、本田宗一郎社長の
意向に反して、部下達が反旗を翻した次世代の
水冷エンジンの小型/大衆車がこのシビック
前輪駆動も2ボックススタイルのトランクのない
乗用車も軽自動車以外ではまだまだ珍しかった
この時代。ケンとメリーのスカイラインが
絶大な人気を誇っていた華やかな時代にあって
軽自動車が絶好調だった当時のホンダの中では
あまり目立たない存在でした。
やがて、ホンダの乗用車輸出を支え
低公害エンジンCVCCの開発で世界を驚かせた
のを見届けるように、宗一郎社長はあっさり退陣。
2ドアだけだったバリエーションも3、4、5ドア
と増えてゆき、アメリカ進出の尖兵として地盤を築き
後継者たちの手でシビックはホンダを世界有数の
自動車メーカーに育ててゆきました。
欧米ではいまだに人気車種として、クーペやハッチバック、
TYPE-Rもちゃんと売れています。
日本では4ドアしか選べない地味な存在と
なってしまいましたが、今やコカコーラのように
世界商品に成長しています。