2007年03月14日
世界はこの日を待っていた
三月十四日、37年前のこの日、expo70/日本万国博覧会が開幕しました。
千里丘陵の一角が文字通り世界の中心として
脚光を浴びました。未来から舞い降りてきたかのようなパビリオンが立ち並び
未来に向けた技術のプレゼンテーションであふれていました
今の東京で例えれば、
よみうりランドあたりに愛知万博とTDLと東京サミットがいっぺんに来た以上の大騒ぎ、といったら想像がつくでしょうか。
その開幕セレモニーが開かれたお祭り広場では、半年間の会期中毎日のように民族衣装や大道芸の若者たちが乱舞していました。
コンパニオンの制服は最新の流行だったミニスカートかパンタロン。史上もっともミニスカが氾濫した万博だったかもしれません。東京大阪間を一時間で結ぶリニア新幹線(模型)や三十八万km彼方から持ち帰ったばかりの月の石、手にとって見ることの出来るレーザー光線、電話線が無いのに通話できるコードレスフォン(実演)まで、政府、自治体、企業が出展する百以上のパビリオンにはありとあらゆる未来の夢が並べられていました。炎天下、月の石見たさに8時間も並んで待った日本人の忍耐にも驚かされました。当時の日本人のほぼ半分が会場を訪れた計算になります。
あの頃の興奮は、今も記憶の中で鮮やかに蘇ってきます。今や何も無いとは判っていてもついつい足が向かってしまうのが万博会場跡地。岡本太郎の名前を一躍有名にしたのが太陽の塔
お祭り広場の大屋根を持ち上げるように
万博の180日間を見守っていました。四十年近い日々を経て、この場所は静かな公園に姿を変えています。
会場を取り囲む巨大なスタンド席も大きな屋根もすでに無く、太陽の塔だけが昔と同じ場所にぽつんと立っています。ソ連館や自動車館のあった辺りは、深い森に生まれ変わって、野鳥たちのオアシスに。お祭り広場の周辺は市民が憩う公園に。日本庭園と朽ち果てそうな鉄鋼館がかろうじて当時の姿を偲ばせます。ここに憩う若者たちは大阪万博を知らない世代.深い緑もここまで育つのには長い年月を要しています。
人類の進歩と調和に大きな夢を抱いて幕を開けた70年代
ビートルズが解散し,グループサウンズブームが終焉して
フォークブームに.モーレツからビューティフルへを合い言葉に
世の中の流れが大きく変わってゆく分岐点でもありました。
広い会場内一杯に夢があふれていたあの頃
イベント大好き人間の私にとって原点のような気もします。