2022年06月23日

東北新幹線40周年

北東北のほぼ中央に位置する盛岡市と、当時大宮が新幹線で結ばれてからちょうど今日で40年
その日の盛岡駅は私を含めた報道陣と利用客でごった返していたものです。

当時はFPU、マイクロ波を使った生中継装置が可搬出来るようになり、初めて走行中の新幹線列車から生中継をやるというので大いに注目を集めました。
時々回戦が落ちて、バックアップ映像に切り替わることもしばしば。この技術はのちに箱根マラソンの全区間完全生中継などでも実用化され、テレビ中継の可能性を大きく広げたものでした。
CNNが産声を上げたのもほぼ同じころ。当初はケーブルテレビ向けの新規サービス、くらいの認識でしたが3大ネットワークに匹敵する巨大メディアに成長しています。

当時、大宮と上野を結んだリレー特急は先ごろ引退した185系車両のデビュー戦でもありました。
半年遅れて上越新幹線が開通し、始発駅も上野、東京と南下して上野駅の趣もすっかり変わってしまいました。

執着だった盛岡も途中駅となり、今や新幹線は函館まで!
最高速も320kmを記録するまでになり、200系やE1系、400系など、引退した車両も増えてきました。

新幹線が変えたもの・・・・・
それは中央集権の一層の集中を加速し、過疎の問題が改めて問題となる結果に
盛岡で乗り換えできるローカル線、山田線の日中の普通直通列車は、もう数えるほどしか残っていません。

当初、対抗策として花巻空港がジェット化され,羽田花巻便もスピードを競いましたが、羽田便はすでになく、名古屋札幌方面が花巻のお得意さんに替わっています。

新幹線ができてから、お気に入りの夜行急行が同時に姿を消しています。在来線特急のやまびこはもちろん、十和田、八甲田といった名門も新幹線の影に隠れるようにして消えてゆきました。
今ではたった2時間10分で盛岡に着いてしまうe6系しんかんせん。秋田新幹線をお供に加えて、果ては函館までも直通する様は、その昔山陽新幹線が岡山、博多そして鹿児島と成長する樹木のように生い茂った様を思い出します。


| 14:42 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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