2019年11月12日

高田馬場アンダーグラウンド

山手線、東西線、西武線が交錯する高田馬場、学生の街でもあるこのエリアを長年に渡って見つめてきた著者;本橋信宏が記す、高田馬場ヒストリー・・・・

前半のハイライトは大ヒット曲「神田川」の誕生秘話、作詞した喜多條忠(きたじょう まこと)の才能を開花させたのはブレイク前の南こうせつ。彼からのアプローチで徹夜明けの15分で作詞、作曲に南は5分と要しなかった。舞台となった神田川は高田馬場から飯田橋方面に流れる、名前すら顧みられることも稀な川だった。三畳ひと間のアパートに暮らしていた忠の実体験がベース。

当初LPの収録曲の1つだったのが、ラジオのオンエアをきっかけにリクエスト葉書が殺到。急遽シングル・リリースとなったタイミングがオイルショックの火種となった中東戦争勃発直前の1973年9月末。まだ日本が右上り高度成長ブームに浸っていた真っただ中のこと。
貧しさや先の見えない不安をモチーフにした、こんなに切ない歌詞の楽曲が大ヒットした裏側には当時の日本人が忘れかけていた、逆境・貧困からの脱出を夢見た頃への郷愁が強く作用したのではないかと、今更ながらに思います。

曲のヒットを追いかける様にして国民は石油ショック、紙資源不足と言ったパニックに直面します。節約とか耐乏と言った言葉を押入れから引っ張り出してきて陽の目を浴びさせるまでさほど時間はかかりませんでした。あるいはこの時、ヒット曲のトレンドも変節点を迎えていたのかもしれません。

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池袋と新宿といった巨大ターミナルに挟まれながら、目白とも大久保とも異なる独自のキャラクターに彩られているのは何故か?学生運動盛んなりし70年代初頭、キャンパス内では一体何が起こっていたのか?そしていつしか著者のマジックに魅了され、他のアンダーグラウンド本が気になって仕方なくなるかも?

| 23:26 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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