2014年08月19日

昭和の名車・フェアレディZ(S30)

 ミニスカートの流行を追うようにパンタロンルックが日本に定着し始める頃、それまで女の子のパンツルックは男の子みたい、とからかわれるのが普通でした。ジーンズの普及も手伝ってパンツルックの女子が全然珍しくなくなったのは、つい40年くらい前の70年代初頭のこと・・・・・
 トヨタが誇る60年代後半の名車、2000GTですが,開発と組み立てにはヤマハが大きく係わっています.そもそも企画を提案したのもヤマハで、最初は日産に持ち込まれたアイディアだったと云う説もあります。そうでなかったとしても、大人気のライバルを見て,日産も同じ指向のスポーツカー開発が急務となりました。

 日産には古くからオープンスポーツカー【フェアレディー】が存在しています.それなりの人気と知名度は勝ち得ていましたが、2000GTとはかけ離れた存在.性能差もも大きく、見劣りのした古典的な代物でした。いっぽうで,日産にも【2000GT】が存在していて,人気を博していました。スカイライン2000GTです。1969年初頭にはレース用のエンジンをそのまま積み込んだGT−Rが登場します。この強力なエンジンをトヨタに負けないロングノーズのクーペに搭載したのがフェアレディZ=432
IMGP8466.jpg
 プロポーションもトヨタのGTに良く似ています.ゴーン社長が就任前からお気に入りだったのもこのクルマ.対米輸出で記録的な売り上げを記録し,ポルシェを毎年のように改変に追い込んだのもこのZの仕業だった,と云って良いでしょう。もちろんビジネス的にも大成功.日産(ダッツン)ブランドの知名度をアメリカで定着させるなど日本の産業界に置いても重要なマイル・ストーンとなりました。そうそう、30年くらい昔のワタシはZに乗って東名を何度も往復してましたっけ・・・・・

 もしトヨタと日産の立場が逆だったらどうだったでしょう?片や330台あまりの少量生産、そして当時の二人乗りスポーツカーの生産世界一を記録したドル箱・・・・その後、あとだしジャンケンが有利なことをこのメーカーは座右の銘としているようにも思えます・・・

| 23:35 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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