2014年02月23日

1989年とウクライナ

 華やかなソチオリンピックの向こう側で、同じ黒海に面したウクライナのヤヌコビッチ大統領が22日解任され、5月25日に大統領選挙の前倒し実施が決まりました。すでに大統領が首都キエフを脱出し、野党勢力はキエフ中心部を掌握しています。(WSJほかのニュースソースから)

 親ロシア派のヤヌコビッチ大統領は退陣しないと断言し、「この国を去るつもりもなければ、辞任するつもりもない。私は合法的に選ばれた大統領だ」と述べていますが、新たな国会議長に野党第1党「連合野党・祖国」幹部のトゥルチノフ議員が選出され、ウクライナ憲法では、大統領の代理を務める様定められています。大統領に反発するのはEUとの関係強化を求める勢力で、これに反発する大統領側との間で・・・・と聞いて、25年前のニュースが思い出されます
 ・・・・・1989年という一年は戦後世界政治のカテゴリーでとてもたくさんの出来事があった年でした。中でもベルリンの壁の崩壊は戦後の冷戦構造を根底から覆す一大事件だったことはご存知のとおり。

 昭和64年の正月を迎えた日本でも昭和天皇の時代が終わり、確実に次の時代へと変化しています。この年、松下幸之助、美空ひばり、手塚治虫、昭和を彩ったカリスマたちが相次いでこの世を去ってゆきました。しかしベルリンの壁崩壊は決して一日で成った訳ではありませんでした。兆しは年初から見え始めています。

 80年代、ポーランドの自主管理労組連帯のワレサ議長と云うフレーズを何度ニュースの中で読んだことでしょう。この年、ポーランドの民主化はあらゆる変化に先んじていました。ポーランドのみならず、ハンガリーでも、ルーマニアでもそれまでのソ連との力関係は大きく変化していました。8月のある日、ハンガリー国境の有刺鉄線を超えて多数の東ドイツ国民が易々と西側に逃れることが出来たのも、ソ連の変化と無関係ではありませんでした。

 もうひとつ89年で忘れてならないのが中国でもっとも有名な広場で起きた「ろくよん」とも呼ばれるあの事変。それからの中国が東欧とは違う方向に進んでゆくのも、また対照的です。このあとソ連邦の崩壊、冷戦の終結と、大きな時代のうねりが短い期間に連続して起こりましたが、そんな一年にスポットを当てたのがこの一冊

;竹内修司著「1989年 現代史最大の転換点を検証する」です。(平凡社新書;本体760円・2011年3月第一刷)

 四半世紀経った今、もう一度あの1年がどんな年だったか振り返ってみるのも興味深いと同時にウクライナの行く末を占う上でも大きなヒントになると思います。

| 13:12 | カテゴリー:吉田雅彦


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