2008年07月09日

「街」の時代

ムカデ・ダンスのCFで一世を風靡したmadness、
なめ猫やルービックキューブとともに大流行しました。


city-02s.jpg第二次オイルショックから数年後、80年代の初頭に
ホンダが送り出した経済車、キャッチコピーは
[CITY]はニュースにあふれている!でした

この車が世に出た後、レギュラーガソリンは160円前後にまで
高騰し、他メーカーもマーチやシャレード・ディーゼルなど
経済的なリッターカーを送り出しています。
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当時はタクシー代がまだ300~400円台の時代。
聖子も明菜もレコードを買いに走った頃。
エアチェックはカセットテープ。スリラー見たさに
ビデオのあるお店に足繁く通いました。
クラウン/セドリックのタクシーも妙に角張ったデザインでした。82、83年にシティターボ,ターボ�を追加、そして

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84年にはホンダ14年ぶりのオープンカー「カブリオレ」を
投入し,文字通り各局のニュースに採り上げられました。
これ借りて松田聖子を聞きながらドライブした日は
20代の思い出に残る1日です。

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シリーズにはこのほかにもマンハッタンルーフやハイパーシフトなど
意欲的な試みも見られましたが、時代はバブル経済へと向かい
ホンダのはシティは街中から姿を消してゆきました。
その腰高なプロポーションは後のミニバンブームの
起源と見る事も出来るでしょうか。その後のホンダの
不振を救ったオデッセイは、ある意味このコンセプトの
後継車だったのかも知れません。ちなみにCFでは
このあとラベルのボレロを採用し、クラッシック曲の
一大ブームの序曲としたのもホンダ(プレリュード)でした。

| 12:51 | コメント(9) | カテゴリー:吉田雅彦

コメント

吉田さん、再び失礼します。
シティ、シティターボ、懐かしいですね~
百足ダンス、名前だけは記憶に残っています…
松田聖子さんと言えば、妹が大好きで、レコードやカセットに落としてよく聴いていましたが、動物占い的には、松田聖子さん・宇多田ヒカルさん・矢沢永吉さんは同じタイプ、ですがCDは持っていません…
生き方、考え方は共感しますが、音楽性はフィットしない不思議…
松田聖子さんのエピソードで、一番共感するのは、ステージ上で声が出なくなっても歌い続けた事です…
自分も、3日前、商品不足の為、2店舗で25kg程度の商品を片道15分掛けて移動、腕がへし折れるかと思いましたが、無事移動しました。
その割には評価は散々でしたが(苦笑)

投稿者 ちなみん : 2008年7月 9日 14:09

車の事はよく分りませんが、私は昔の角張ったボディが好きなので、最近の車の丸みがどうも・・・
なめらかな感じよりもこういう凹凸がハッキリしている方好きなんですね。(変なマニア?)
先日かなり古めのサニーを見かけて「うぉ→格好いい♪」と立ち止まって見送ってしまいました(笑)

投稿者 にゃんにゃんにゃんこ★ : 2008年7月 9日 14:46

最終世代のサニーは好評だったB12系(1985~)の
角張ったデザインにあやかった、とも見えその後は
ティーダに姿を変えて
サニーの名前は無くなってしまいました。
クルマのデザインの世界では女性が角張ったのを
好み、男性は曲線的なものを好む、というのが
70年代の定説でした。デートドライブの
定番は松田聖子、中森明菜は別れたあとに聴く、
というのもお約束で、明菜がレイヤード・でデビュー
すれば、聖子はショートカットに変更。同期の
女子アナは、レイヤード・カットだったような?
松田聖子が全米進出を図って歌った英語の曲
[DANCING SHOSE]は、人知れぬ名曲でした。

投稿者 吉田雅彦 : 2008年7月 9日 19:13

はじめまして。懐かしいですね、シティ。
特徴あるフォルムは模型栄えするようでタミヤからはシティR、ターボ、ターボⅡブルドッグ、カブリオレと一通りのモデルが模型化され、ミニ4駆やRCカーにもなり。他メーカーからもいろいろ出てました。
マンハッタンルーフ・・・ちょっとハイルーフになってて、スピーカーが仕込まれているモデルだったような覚えがあります・・・
流れとしてはシティ-ロゴ-フィットと来て、名を変え、形を変えても経済的な車という特徴は受け継がれているようです。

ステキなデザインは時を越えることができる、という典型ですね。現行フィットも、時を超えそうな予感がします。

投稿者 ニセモノのイベリコ豚(国産) : 2008年7月 9日 21:55

二代目のシティにカブリオレは引き継がれ
ませんでしたが、ファミリア、サバンナ
パルサーエクサ、セリカ・コンバチと
流行は続いて、ユーノス・ミアータのヒットに
繋がっています。ターボブームも刹那でした。
カブリオレはプラモつくって、彼女に贈りました
一緒にドライブした、その時の相棒です.Be-1ほか
色々貢ぎました。報われませんでしたが。
無限CR-Xは、いまも段ボール箱の奥底に眠って
居るかもしれません。今乗り回しても恥ずかしくない
デザインです。今回マンハッタンルーフは写真に
収めることが出来ませんでしたが、他社のワゴン
には息づいていますね。ロゴのあとにキャパや
SMーXと言った車種がでたときも隔世遺伝子を
感じたものです。二代目シティはワンダーシビックの
影響を受けて影も形も全く別ものになって静かに
消えて行きましたね。バブルの時代、ホンダに乗った
セナが元気だった頃のこと。宗一郎さんもまだ
お元気な時代でした。 ニセモノの国産イベリコ豚さん
いつもご愛聴、感謝です。G・Lは難関ですが
チャレンジは続けて下さい。

投稿者 吉田雅彦 : 2008年7月10日 02:52

懐かしいですね。
入社して初めて買った車でした。黄色のボディーのタイプEでした。当時は、九州は大分に住んでおり、通勤に日々の生活に車は必須の環境だったため、ともかく燃費最優先で決めました。
1200ccのCVCCエンジンは余りパワーはありませんでしたが、日常生活には十分でした。
通勤使用でリッター18~20走りました。名古屋に帰省する時や、遠出の際はもっと燃費がのび、最大で28走ったこともありました。
但し、遮音性とエンジンブレーキの利きはイマイチでしたね。
結局、3年で4万5千キロ乗って買い換えました。

投稿者 松桐坊主猪鹿蝶 : 2008年7月13日 11:54

遮音性、確かにうるさいクルマでしたよね
カブリオレなら多少は誤魔化せたかもかも
知れませんが、就職して最初のクルマ、
きっと思い入れも多かった事でしょう。
4万5千キロ乗ったら、かなりの燃料節約に
貢献したという事でしょうね。
でも28kmの燃費は驚異的です!
パワステ無しの重い舵は堪え難いもの
でしたが、あの頃希少な丸目は
83年までのZとこのシティだけで
何でも許せちゃったんでしょうね。

このクルマが売れたおかげで、シビックは
売り上げが減少し、かえって利益が減って
しまったという貴重な経験をホンダに学ばせた
クルマでもありました。今ではシビックは
北米ナンバーワンのベストセラーにまで
成長しましたが、国内ではあまり見かけ
無くなったのも、あの頃に少しだけ似ています。

投稿者 吉田雅彦 : 2008年7月13日 11:54

吉田さん遅れました~
懐かしい!CITY!!
まあ発売当初は産まれてませんが・・・プラモとかもたくさんでましたし、シティカブリオレとかも乗ってる人結構いましたし!ダイハツシャレードのCMソングで久保田利伸さんが歌ってたりとかしていてやはり昔の車はいいな~
吉田さんと話合いそうだなぁ!!!

投稿者 ピー : 2009年4月 7日 11:17

天使のウィンク(松田聖子;第二シャレードのCMソング)
を聞きながらシティカブリオレでドライブした日は今でも
はっきりと覚えています。(一番上の写真が実はそれです)シティもシャレードも名前こそ無くなりましたが
カローラ、シビックの下のクラスを受け持つ
サブコンパクト大衆車として生を受けました。
原因は70年代の第二次オイルショック。
でも,登場した頃には二本の市場は
ハイパワー競争に終始するようになり
2代めシティの頃にはグンと影が薄くなりました
同じ役割は今のビッツ,パッソ/ブーンにも
受け継がれているとも云えますし,マーチは
名前もそのままに日産の屋台骨を支える程に
なっています。今でも大切にされているシティ
カブリオレを,たまに見かけますよ。
久保田利伸が~GODDESS-新しい女神- で
CMを盛り上げた第三シャレード、今では
中国大陸で大量生産され、街の景色の一部として
溶け込んでいますね。

投稿者 吉田雅彦 : 2009年4月 8日 01:08

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