2019年10月14日

早すぎたルーキー?

日産ヘリテージコレクションから、の続きです

初代プレーリーが登場した80年代は周りのクルマはセダンばかり、ミニバンという言葉はありましたが北米で別の車種を指す言葉・・・・日本で普及したのは10年以上も後のことでした。Img_6389

3列シート、スライド・ドアを解放すると邪魔な柱が残らないセンターピラー・レス、今なら当たり前の新機軸です。問題はこの新機能をどうやって使いこなすのか?自らがブームを巻き起こすことはなくゴーン改革を前にプレーリーの名も忘れ去られていきます・・・

Img_6430EXAと呼ばれる2ドアクーペが注目されたのも80年代初頭。前輪駆動でも楽しく走らせようという一方の雄がホンダのCRX、こなた日産はパルサーのクーペ版としてEXA(エクサ)を発売、ミッドシップ風のスタイルにリトラクタブル・ヘッドランプ、というオシャレなデート・カーを世に問います。そのころトヨタはカローラはハチロクと呼ばれて後代人気アイテムになるレビン・トレノを80系にスイッチ、後輪駆動の良さに固執しています。

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顧みられることのなかったEXAですが2代目では車体後部・バックドアを2種類用意して着せ替え人形化。しかもルーフは脱着できるタルガ・トップ、交換可能なリアは外したままで、ちょっとしたカブリオレ感覚も‥・・・一台で3度おいしい筈が日本では法規上、ガレージでナマ着替えを楽しむことはできませんでした。

でもスポーツワゴン風のルーフを選べば、ちょっとしたシューティング・ブレイクを気取ることだって。その前に狩猟免許も必要ですが・・・・

Img_6425サニークーペの末裔としてはNXクーペと呼ばれる「流星号」が思い出されます。この頃にはレビン・トレノばかりが人気を集め、そろそろ若者がクルマ離れに走り始めた頃、かつての様にサニークーペがサーキットを席巻したことも昔話となりました。

| 14:00 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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