2008年05月04日

私のラジオデイズ27

入社試験の当日、それは最悪のコンディションで
やってきました。

身も心もボロボロの状態だったのです。
それは・・・・・

前日の夜、私は新宿駅の近くの深夜喫茶にいました。
一人で・・・・?

いや!2人です。当時交際していた2歳年上の彼女と・・・・
別れ話の最中でした。
詳しい経緯にはあえて触れませんが、
とにかく、別れ際、彼女は「意気地なし!!」と言って、
バッシ!っと私の頬を平手打ちにしました。

自慢じゃありませんが、男を殴ったり殴られたり
したことはあっても、子供の頃から女性には
一切手を上げたことがない私が女性に殴られたのですから、
そのショックは相当なものでした。

かくして、ボロボロ状態で一夜明かした私は、
一睡もしないまま入社試験に臨んだのです。

試験は、筆記試験に音声テスト、それに他の局にはない
課題でしたが、洋楽(ジャズ)のジャケットを渡され、
これで番組を構成しなさい、といった問題が出題されました。

もちろん、ライナーノートは英語、曲名も全て原題です。
渡されたアルバムはレッド・ガーランドでした。
ガーランド節と呼ばれるスタイルで人気を博した
ジャズピアニストです。

構成は自由だったので、特にライナーノートに絡める
必要はなく(英語は苦手でした)、当時の日本における
ジャズの傾向などを織り込みながらDJ原稿を
書き上げました。
このあたり、喫茶店でのDJアルバイトの経験が
活きてきました。

音声テストも自由課題のフリートークでした。
試験場となったスタジオ内に古い ターンテーブルが
置いてあったので、それをネタに子供の頃家にあった
電蓄(叔父の手製でした)とポップスとの関わりについて、
経験談をあれこれ話したと記憶しています。

とにかく、集中力を保つため己との戦いに終始した
長い長い一日でした。
この後、脱力感で3日ほど寝込み、ようやく気力が回復
してきた1週間ほど後、電話で合格の知らせを受けました。

その時、たまたま家にいた祖父に報告すると、祖父は言いました。
「合格おめでとう!NHKか?」
「あっ!いや・・・・・・FM放送という・・・・その・・・・」
その後、FM放送とは何ぞやという話しを延々として
聞かせました。

その頃、FM放送など世間一般ではほとんど知られて
いなかったのです。

| 12:00 | コメント(1) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
田中さんは、ダンディなのは承知していますが、フェミニストでもあったのですね…
自分も、同性とは小学校の時までは殴り合いもありましたが、女性には手を上げないのを信条としています!!
自分は、昨年亡くなった母を今も尊敬していますが、終生熱戦を繰り広げていました…
父とは男同志で、ぽつりぽつりとしかお互い話さず、妙な遠慮もあったのですが、何でも話せたのが妹、母とも何でも話したのですが、お互いの激しさがぶつかり合い、熱戦をよく繰り広げていました…(自分が母譲りの性格なのを実感しました)
実は、8年前3/15(水)、明大前で母の頬をつねってしまいました…
常に相手の立場で物事を考える母でしたが、年1回上京して、自分の身の回りの事をしてくれましたが、その時母は、店員さんに無理を言ったのです…
当時自分は、前日に初めての店長職の内示・辞令を拝命したばかり、店員さんの立場を考えない母の発言をどうしても許せなかったのです…
母は何も言わず、そのまま自分の自宅へ帰って行き、帰宅後、誠心誠意母に謝りました…
人生で一番よく寝たのは、病気を除けば、24年前高校の卒業式が大学入試の合格発表、奈良の天理大学でしたが不合格、帰宅後どっと疲れが出、翌日2/26・18時まで爆睡、18時間眠り続け、2時間後の「西部警察」だけ見て、またすぐ眠りに就いたのが最大です…
田中さん、このように田中さんを始めとしてニュースルームの皆さんとコミュニケーションさせて頂いている自分には、J-WAVEは最高の放送局ですが、FM局について詳しく説明しないといけない時代もあったのですね…
田中さん、続編を楽しみにしています!!

投稿者 ちなみん : 2008年5月 4日 23:00

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