2022年01月01日

メディアの伝えない勇気を考える①

この時期になると増える名画の再放送...ローマの休日の結末を知っていますか?(ネタバレです。ご注意を)

とある国の王女の内緒のオフ•ショット。特ダネ間違いなし、のトピックを手にしているのにそれを公開することがたった一人の女性の命運を変えてしまうかもしれないとしたら・・・・

グレゴリー・ペック演じるアメリカ通信・記者は結局、大スキャンダルともなりかねない王女の秘密の休日=スクープ・ネタをボツにしてしまいます。

もしも彼が週○文春に記事を売り渡すとしたらどうでしょう?文○は部数を伸ばして彼の手元に高額のギャラが...

今のようにSNS全盛の時代だったら、あっという間に世間に広まって王女の秘密は暴かれてしまい・・・・・・

結局王女のプライバシーは、ひとりの記者の決断によって守られたのです。メディアには伝えることの権利と、それを避けることの決断をも迫られる、責任と言うべきものがあります。よく勘違いされる報道の自由と言う文句は政権や圧政者の意思によって判断を誤る事のないよう、表現者の権利を守るために使われるフレーズであって、何でもかんでも白日のもとに晒して良いと言う勝手な理屈とは違います。

今から60年以上も前にメディアの本質を問うようなストーリーが世界に公開されて大きな共感を呼んだのは言うまでもありません。
と、同時に放送や新聞などマス・メディアと現代のネットワーク通信の大きな違いがここにありました。

新聞事業は大きな印刷所に広く張り巡らせた配達網といった巨額投資を伴って初めて可能になるものですし、放送というメディアはキャリア(放送電波)の帯域に限りがあるため、限られた数の事業者にのみ免許が与えられる許認可事業です。
その影響力は時として政権をも動かしかねず、選挙の結果や世論の形成にも大きな影響力を持っています。
そのメディアの使い方をもし、間違えていたら・・・・・

これから何回かに分けてメディアについて少し掘り下げて考えてみようかと思います。

| 19:35 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


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