2023年05月16日

MF 10

5月16日はトヨタ2000GTが1967年に誕生した日。2023年で56年を迎えます。当時は50万円あれば新車のカローラが買えた時代・・・・

この突然変異とも言える超弩級のGTカーが現れたのがこの日でした。
230万円以上と当時のクラウンが2台まとめて買えるプライスは大衆には手の届かない孤高の国産車でした。それでも近所の書店経営者が購入したと聞きつけて早速青空駐車されていた白い2000GTを舐める様に見回したものです。

ツインカムDOHCと意味もわからず呪文の様に口にしていた3MエンジンはYAMAHAとの共作、以後トヨタツインカム王国を築くスタート地点でもありました。

この年1967年は豊田佐吉翁の生誕100年を記念してセンチュリーという長寿車が生まれたのも特質に値しますが、他方でマツダはロータリーエンジン搭載車第1弾、コスモスポーツを。いすゞはベレットGTの上位に位置する超高級車ジーティーの117スポーツを発売します。どれも当時では破格の3桁(百万円以上)のプライスタグがつけられ、生産台数は総じて数百台のレベル。仮に一千台売れたところで売り上げの総額は数十億円と、かかった開発コストを考えればとても採算が取れる代物ではなかったはず。
 

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つまり、売り上げよりもその広告塔としての役割に期待大だった、とみるべきでしょう。

例えば2000GTは専用のフレーム、足回りからボディに至るまで専用設計。金型を起こすだけでも数百台で元が取れるわけがありません。

しかし、その存在はメーカーの技術力、ステータスを誇示するには充分以上の役割を果たし、広告費としてのコスト回収はできただろうと想像します。

2000GTが生産を終えた1970年、トヨタはより大衆的なスポーツカーを開発し量産すると発表しました。人気パーソナルカー=セリカの誕生です。生まれ変わりというには落差がありすぎますがセリカのドアハンドルのデザインは2000GTに酷似したもの。3年後にはハッチバックドアを持ち、2000GTの名跡を復活させたセリカ・リフトバックも登場します。

登場から9年後、その貴重な1台のハンドルを握る機会に恵まれましたが、その発するオーラは他のどの国産車にも見られなかった特別なものだったことを思い出します・・・・・

| 21:35 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


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