2023年02月04日

Matthew Calbraith Perry

久里浜の海岸に突き当たる手前の見晴らしの良い場所にペリー公園がありんす。
ペリー来港は浦賀、そう教わって来ました。なのに上陸記念碑も記念館も久里浜にありました。

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史実はこうです。ペリー艦隊は太平洋からではなく、NYから東回りの長い航海を経て来ました。上海〜琉球〜小笠原と立ち寄って、幕府に近い東京湾を目指した由
当時オランダに門戸を開いていた長崎ではなくペリーが当初から東京湾を目指したのは幕府との交渉に便利だからとの由。
しかし最初の投錨地=浦賀では地元の小舟が取り囲み大騒ぎ、信書を渡すだけで返答を待ちます。

そして上陸と会談が許された場所が久里浜だったと言う訳。ジオラマに飾られているのはペリー率いるインド太平洋艦隊の四隻。旗艦のサスケハナは蒸気機関も搭載した300人乗り組の帆船です。
海岸には俄仕立てのブースが設けられ下船した軍楽隊に地元民は目を見張った様子.190cmの巨躯、ペリーの似顔絵を載せた瓦版が全国に流布したというから相当なインパクトだった事は想像に難くありません。
手土産に献上された4分の一スケールのロコモーションは実動のもので、これ以降20年の後には日本で最初の鉄道が開業しています。
で、ペリー博物館には当時の様子を記した資料や絵巻物,資料の山が揃えられています。

今年はペリー来航から170年、1853年と言えばまだようやくカリフォルニアがアメリカに加わるかどうかのタイミング。実は日本の方が西海岸の州より米政府との付き合いは長いんです。
鎖国の間も海外との交易で名を馳せた長崎に比べて、日本の開国に関わり、大きな歴史の転換点の舞台になったのが久里浜だったこと、意外に印象が薄いのは残念というか勿体無いというか・・・

| 20:07 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


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