2022年08月09日

長崎は最後の・・・・

初めて長崎の街を訪れた際、ちょうど台風の来襲と重なりほぼ屋内に閉じ込められた日々が続きました。
そんな中でも有名な喫茶店、銀嶺を訪れたり、原爆資料館を訪れたりすることは忘れませんでした。

初めて目の当たりにした原爆の物凄い破壊力と熱線。どれだけ激しいものか?それを物語っていたのは様々なモノたちのむごたらしく変形した姿でした。
弁当箱の中で黒焦げになった米粒などは、序の口(というか自分でも作る)
高熱と爆風にさらされた醤油の一升瓶やビール瓶が水飴のようにぐにゃりと変形した姿を一瞥しただけでも一度の核爆発がどれほどの高熱とエネルギーを放っていたかが如実にわかります。

そんな高熱、爆風が生身の人間に襲いかかるのですから、たとえ即死を免れたとしてもそのダメージは想像を遥かに絶するものがあるのはご想像の通り。
とてもここには掲示できないような残酷な写真や挿絵の数々。地獄絵図と言った言葉で表現できるレベルではありません。

たった一つの爆発で数万余の命を簡単に奪ってしまう核兵器。その投下を行使する指揮官は一人いるだけで、数人のクルーがボーイングB29爆撃機を北九州上空まで飛行させ、当初目標としていた小倉の街を視認出来ずに第二目標の長崎市へ変針。
長崎上空でも三菱重工のドックのある中心部を確認できずに、たまたま雲の切れ間から確認できた浦上の上空で、爆弾投下のボタンがたった一人の手で操作され、数十秒後には数万という人の命が奪われる。

原爆投下プロセスで最も恐ろしいのは、この指揮命令系統の最上位に位置する人間の存在です。
プーチンが率いるロシア軍がウクライナ、 ザポリージャの原子力発電所を攻撃の標的とし、あるいは爆弾を仕掛けていると言うニュースが駆け巡っています。
アメリカが原爆投下を急いだ理由として、表向きは早く日本に降伏を迫るものと詭弁を並べていますが、ロシアとて国内の兵力補充が思うに任せられなくなった以上、最後の手段として原発を脅迫の手段としてアピールせねばならないほど、事態は逼迫していると解釈しなければならないのでしょうか?

今日、いま現在までは長崎が世界で最後の原爆被害を受けた都市とされています。
この歴史が不本意ながらも塗り替えられる時が来るとしたら、それはたった一人の悪党の意志が働く時に他なりません。核兵器全てを無きものにするのは不可能でもそれを行使しようとする世界で数人を抹消するのは、それも難しい相談ですか?ならば首に縄を掛けてこの長崎や広島の資料館を見せて考えを改めるまで帰国を許さない、位の強硬手段に訴えてほしいものです。

| 14:56 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


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