2022年01月15日

mediaの歴史⑴

日本には遥か昔から光通信が発達していました。
と聞くと意外な気もしますが事実です。

煙の立ち上る様子を見て先物相場の参考資料にしていたので、いわば今日のネット株情報とやっていることは同じです。

さて話はルターの時代に遡ります。聖書を翻訳したルターの宗教改革と呼ばれる一大事業は活版印刷というメディアが生まれてこそのものでした。
古代からの日本人のようにお気に入りの文書を手書きで一つ一つコピペするのではなく、一度に何百、何万という書物が印刷できるアレです。今なお世界のベストセラーと言われる聖書もこうして世界に広まる訳ですが、普及にはひとつ、言葉の問題がありました。
当時ルターの暮らすドイツでも地方によってさまざまな方言が存在し、これをそのまま文字に直したのでは広範囲な普及は望めません。そこで、ルターはドイツに広く浸透するようにと、翻訳に際しては平易な標準的ドイツ語を心掛けたのでした。これは放送の世界にも言えることで,NHKのように全国ネットワークの放送を限られた地方の方言出放送することは出来ません。出来ないというよりも適切ではない、の方が適切でしょうか?このことは方言の衰退という別の形となって顕在化することにもなるのですが・・・・

日本にも宣教師がもたらした印刷機が上陸します。ここで広く普及したのは聖書ではなく木版画をベースとした瓦版が姿を変えた新聞紙でした。というのも宗教弾圧によって聖書も異教徒も日本から排除されてしまうからです。その頃の日本では版画の技術がとても高いレベルに到達しており数々の浮世絵の名作を残しています。それも大量に。世界に聖書が流布していた頃日本では色彩豊かな版画が隆盛を極めた‥‥画像文化が広く浸透していた日本人がインスタやTiktokを好きなのも、実は江戸文化の延長だったりするのかもしれません。
全国規模で新聞紙を各家庭に配る宅配制度もスタートしたのはこの日本からでした。新聞は毎朝家庭で読むもの、として定着します。こうした中から新聞連載小説という人気ジャンルが現れ、夏目漱石をはじめとする文壇の人気スターたちが数多く生まれます。
新聞には地域の情報に根ざした地方紙と全国に同時に同じ情報を伝える大規模な全国紙とがあります。隣近所の情報に詳しい地方紙に比べ全国の様々な情報、中央の政局について伝えてくれる全国紙がとりわけ日本では大きく部数を伸ばすことになります。識字率が元々高かったことも新聞の普及にはプラスでした。

さて、毎日大量のニュースを自宅に届けてくれる日刊新聞、ですがお盆休みの夏休みにはどうしても政局を始めニュースの数自体が減ってしまいます。でもページ数は減らしたくない。
そこで大阪に本社を置く朝日新聞は考えました。全国の中学生(現在の高校生)を一堂に集めて中学野球の全国大会を開き、それを紙面に掲載しよう!こうして1915年に1回目の全国大会が開催されます。これが大人気、キラー・コンテンツとなってその人気ぶりを見た毎日新聞も春休みを使って選抜大会を主催します。実は中学野球には伏線があって、前年の1914年、野球部を創設したばかりの明治大学が東京で大学生によるリーグ戦のシリーズを始め、これが6大学野球のルーツとなっていたのです。
やがて日本にもアメリカ大リーグのようなプロ球団が誕生し、年間を通じて長いリーグ戦を組むようになります。東京ジャイアンツを所有したのは読売新聞。ジャイアンツ戦と言えば全国規模の人気と実力を誇るのもメディアを武器にしたことが大きな要素かもしれません。

そんな新聞ですが今から100年前、強力なライバルが出現することになります・・・・・

| 10:34 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


2024年 4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

バックナンバー

カテゴリー

最新記事