2010年06月01日

私のラジオデイズ93

1973年(昭和48年)、千葉県の陸上自衛隊
木更津基地に旧日本陸軍の戦闘機が陸揚げ
されました。

基地での組み立てと調整を終えたあと、返還式が
行われ報道陣に公開されました。

この戦闘機こそ、現在、鹿児島県の知覧特効平和
会館に展示されている「疾風」なのです。

疾風は中島飛行機が開発・製造した単発
プロペラ戦闘機で正式にはキ84四式戦闘機と
呼ばれています。

1943年に初飛行し合計で約3500機ほど
生産されました。

太平洋戦争の末期、ネフロス島に不時着した
1機の疾風がアメリカ軍によって回収され、
アメリカ国内で徹底的に性能テストが行われ
ました。

この疾風が日本人に譲渡されるという話を聞き、
返還式の行われた木更津基地に取材に行きました。

当日、式典のあと、疾風を保管していたマロニー
航空博物館のエド・マロニー氏や日本人オーナーに
譲渡した古典機マニアのドン・ライキンス氏、それに、
疾風を購入した日本オーナーパイロット協会の
後閑氏らのインタビューを行い、いよいよ、待望の
疾風のエンジンスタートという時に・・・・・・

どうしたものか、なかなかエンジンがスタートして
くれません。

何度か関係者がスタートを試みたのですが、一向に
点火する気配はなく、この日のエンジンスタートは
中止となってしまいました。

収録できたのは、ブルルン、ブルルンというスタート
音だけ、誉エンジンの気難しさを実感させられた
取材となりました。

それにしても、飛行可能な日本の大戦機を間近に
見たのはこの時が初めてで、今から思うとスピルバーグ
監督の「未知との遭遇」の冒頭シーン、砂嵐の砂漠の
中にこつ然と姿を現すグラマン・アベンジャーを見た時の
ような不思議な感覚を覚えました。

その疾風も、1973年に入間で開催された国際航空
宇宙ショーで公開飛行を行ったのを最後に二度と大空を
駆け巡ることはなく、その後、各地の博物館を転々とした
あと、知覧の平和会館に安住の地を見つけています。

疾風を譲渡したライキンス氏は、飛べなくなった現状を知り
譲渡を悔やんだと伝えられていますが、敗戦国の兵器と
言えども貴重な工業遺産として大切に保存するアメリカと
比べ、日本に於ける扱いのひどさは単なる文化の違いだ
では片付けられません。

「ものづくり」の文化は、過去の工業遺産を大切にする
心を育む事から始まると思うのですが・・・・・・・

ところで、この取材の際、写真も沢山撮影したのですが、
保存管理体制の不備で取り出せませんでした。残念!

| 10:13 | コメント(2) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
今回は、残念なお話ですね・・・
「疾風」37年間、活躍の場もなく、知覧の平和会館で安置されているとは・・・
「ものづくり」では、海外からも高い評価を得る我が国だけに、文化・工業遺産の保管も慎重かつ丁寧を期待・想像していたのですが・・・

田中さんがおっしゃっているように、、「ものづくり」の日本だからこそ、きめ細やかな心配り・ケアが出来ると思うのですが・・・

投稿者 ちなみん : 2010年6月 1日 11:09

ちなみんさん、ありがとうございます。
残念なことに、現政権による事業仕分けでは、こうした
工業遺産の保存に関連する予算が軒並み削られています。そこには過去の業績に対する公的な評価の姿勢が微塵も感じられません。
それどころか、新たな科学技術の開発予算すら削られる始末です。
無駄なものは勿論削る必要がありますが、その無駄の価値基準の評価はもっと慎重に行うべきだと思います。

投稿者 ホヅミ : 2010年6月 1日 13:07

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