2009年05月04日

私のラジオデイズ73

1982年12月5日、広島市に新しいFM局
広島エフエム放送が開局しました。

この3カ月ほど前の9月下旬、私は同僚の
ディレクターと共に広島に向かいました。
現地で社員への指導を行うのが目的です。

折からの悪天候で視界不良となった旅客機の
機内で、先行きの不安を感じたのも事実でした。

広島空港(現・広島西空港)に到着すると、
すぐその足で紙屋町にある広島FM放送の
仮社屋に向かいました。

広島FM放送の局舎は現在、皆実町にありますが、
当時は、新社屋の工事と並行して紙屋町の
ウツミヤ証券のビル内でも、開局の準備作業が
進められていました。

部屋では数十人のスタッフが開局の準備に
追われていました。

会社の幹部への挨拶を済ますと、早速、社員の
自己紹介が始まりました。
皆、溌剌としていて目が輝いています。
我々の若い頃もそうであったように・・・・

新しいものに挑戦する熱き情熱をあらためて感じて、
機内でよぎった不安はいつの間にか解消して
いました。
それに、みんな親切で温かいこと・・・・・・

広島は初めて訪れる街でしたが、これまで抱いていた
「ヒロシマ」のイメージが「ひろしま」に変わりました。

翌日から早速、インストラクターとしての仕事が
始まりました。

実は、このインストラクターの業務には、FM東京の
2人の他に、TBSからも3人のインストラクターが
派遣されていました。

5人のうち、1人の先輩を除いて全て同年代でした。

職種は、アナウンサー3人(経験者も含む)、
ディレクター1人、ミキサー1人といった構成で、
それぞれの専門分野を活かし、社員の指導に当りました。

勿論、FM放送ですからクロスオーバーな指導も
必要になってきます。

開局が近づくにつれ、それぞれの担当番組も決まり、
プレーイングインストラクターとしての役割も
明確になってきました。

私は、ニュースと昼の番組のディレクター、それに
急遽、クラシック番組のディレクターも担当することに
なりました。(クラシック番組の経験者は私だけでした)

社員の指導と並行して自分たちの番組作りも行うという
ハードな業務でしたが、インストラクター全員、それに社員が
一丸となって、新しいFM放送局の立ち上げに情熱を
傾けていました。

少なくとも、インストラクターを派遣したそれぞれの
放送局間の思惑などは現場では一切感じる事なく、
同じ目的に向かって持ち得る全ての力を出し尽くしました。

そうした我々の思いが広島FMの社員の皆さんにも
伝わっていたのでしょう。3ヶ月間の研修も順調に進み、
いよいよ12月5日の開局を迎えることになります。

続きはまた次回に・・・・・

| 11:30 | コメント(1) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
広島、母の実家へ行く通過地点で、降り立った事はありません・・・
「ヒロシマ」と「ひろしま」の違い・・・ニュアンスが伝わってきます。
田中さん、新しい放送局開局にあたり、新たな物を創り出す情熱、よりよいものを創り出そうとするこだわり・信念・熱意・・・
これらが1つの実を結実する様は、スポーツ・チームプレイのそのものかもしれませんね!!(1つの映画・ドラマ等を制作する工程と同じですよね)

投稿者 ちなみん : 2009年5月 4日 13:22

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