2008年12月15日

私のラジオデイズ58

首都圏初の民間FM放送局は1970年に
誕生しましたが、この年は別の意味で
忘れられない年となしました。

当時、私は新宿区の市谷台町に住んでいました。
歩いてすぐの所にフジテレビがあり、近くの喫茶店には
TV局の関係者がよく訪れていました。

虎ノ門のスタジオには、最寄り駅の地下鉄四谷三丁目まで
歩いて行き、そこから電車で通勤していました。

四谷三丁目までの途中には自衛隊市ヶ谷駐屯地がありました。

1970年11月25日、この日もいつものように駐屯地の高い塀
の脇を通り、駅へと歩いていきました。
途中でヘリコプターの音が聴こえましたが、別段、
気に留めることもなく、会社にたどり着きました。

間もなくして、通信社の緊急速報を告げるチャイムが
けたたましい音で鳴り響きました。

「作家の三島由紀夫ら数人が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、
バルコニーで演説を行っている模様!」

世に言う「三島由紀夫事件」の発生です。
この日、作家の三島由紀夫は、「楯の会」のメンバー4人を
伴って、市ヶ谷駐屯地の総監室を訪問し、総監を人質にとって
バルコニーで自衛隊員を前に自衛隊決起を促す
演説を始めました。

ところが、隊員たちからは野次や怒号が飛び交ったため、
30分の予定を7分ほどで切り上げ、その後、総監室に
戻った三島由紀夫は、壮絶な割腹自殺を遂げたのです。

この時、自衛隊員たちに撒いた檄文の最後には、
「日本はなくなって、その代わりに無機的な、からっぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、
或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と
記されていました。

これって、今の日本?と思わせるような内容ですが、
その是非はともかく、国民の誰もが衝撃を受けた
事件でした。

この事件は私にとって別の意味で衝撃でした。

何故かって、事件の起きている市ヶ谷駐屯地のすぐ脇を、
ちょうどその時間に通っていたのですから・・・・・・

「私、さっき現場の脇を通ってきました・・・・・・・」
通信社の緊急チャイムを聴いた私の第一声です。

高い塀の向こう側で起きていた事件とはいえ、
現場の目と鼻の先にいながら、何も知らずに出社した
自分が情けなくなりました。

事件はいつどこで発生するか分かりません。
その時のために常に正確な情報を伝えられる心の
準備をしておくこと、これがこの事件で学んだ
私の教訓でした。

この悔しさは数年後に別の出来事で解消させることが
できたのですが・・・・・・

| 12:00 | コメント(1) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
この日は水曜でしたね…
三島由紀夫事件は知っていますし、5歳になって36日後でしたが、この日とは知りませんでした…
三島さんの「由紀夫」というお名前は、自分の本名の画数と同じで、姓名判断を独学で学び始めた28年前、最初に知った事でした…
田中さん、本当にニュースは、身近なところにあるのですね…
今日のお話は、いかなる時も、常に感性を研ぎ澄ます事の大切さを実感しました。
この後どう続いていくかも楽しみです!!

投稿者 ちなみん : 2008年12月15日 11:56

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