2008年10月20日

私のラジオデイズ51

我が国初の民間FM放送局であるFM東海は、
当時の郵政省の理不尽な方針転換で
まさに「風前の灯」となっていました。

その時、局内では・・・・・・

本格的なFM放送局の設置をめぐっては、
我々局員の間でも強い関心をもって、その
成り行きを見守っていました。

この当時、郵政省内ではFM放送に関する
チャンネルプランはまだ具体的にはまとまっておらず、
とりあえず、東京、名古屋、大阪、福岡の主要都市に
1局ずつFM局を設置しようという動きにはなっていました。

FM東海は実用化試験局だったため、放送免許の更新を
1年ごとに行っていました。
ところが、1968年1月、郵政省は「FM放送の実施に必要な
資料収集は終了した」として、免許の再交付を突然拒否して
きたのです。

これには局員一同、驚天動地の状態となりました。
いったいこの先、FM東海はどうなるのだろうといった不安を
心の片隅に抱えながら、平常心をもって放送に臨んでいたのです。

同年2月、FM東海は東京地裁に免許拒否処分の取り消しと、
再免許の早期認可を求めて訴訟を起こしました。
これに対して郵政省は、免許延長の内示を行ったため、
訴訟を取り下げ、郵政省は1968年6月30日までの暫定期間で
放送免許の期間を延長しました。

ところが、6月30日以降の放送は認められず、7月1日に
放送免許が期限切れとなったため、郵政省はFM東海に対して
放送中の電波は違法だとして警告を行い、間もなく電波法違反で
東京地検に告発しました。
こうした告発合戦は1968年の末まで続きました。

この間、局内では毎週のように集会が開かれ、幹部が経過報告を
行い、時には東海大学の故松前重義総長(FM東海のオーナーでも
あります)自らが経過説明に当るという状況が続きました。

FM東海の存続をめぐっては、当時、テレビや新聞にも取り上げられ
一般にもその動向が注目されていました。

また、番組内で呼び掛けることにより「FM東海を守る会」も結成され、
首都圏のFMリスナーから多くの署名や賛同を得ました。
当時、スタジオがあった虎ノ門の発明会館内のホールでは決起集会も
開かれ、コンサートも兼ねて多くのリスナーが会を盛り上げて下さいました。

「風前の灯」となっていたFM東海の灯は、多くの人々のご支援によって
再び灯ろうとしていました。

この続きはまた次回に・・・・・

| 10:00 | コメント(3) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

ファントム田中さん、お疲れさまです。
今回のお話、どういう結末になるか、非常に気になっていました!!
そうですか、やはり「FM東海を守る会」が結成されたり、ファン・愛聴者の皆さんが立ち上がったのですね!!
是非ともFM東海を守って欲しいものです!!…が、まだ結末がありますね(笑)
田中さん、吉田さんの記事を拝見していて、田中さんのファントムに対する熱い想いが伝わって来ました!!(ファントム田中さんの由来はここからだったのですね…)
自分は、今朝1つ年を重ねましたが、阪急3300系に対する想いは、38年間変わりません…(5歳の時から継続する想いです)
全体のデザイン、車内の内装も変わらず好きですが、一番大好きなのは走行音です!!
遠くから聞こえる走行音だけでも癒やされます…

投稿者 ちなみん : 2008年10月20日 15:22

え!「ファントム田中」さんって、田中デスクだったんですか!
存じ上げず失礼いたしました。これから東京リミックス族を聞く時の楽しみがひとつ増えました。

投稿者 のび太@さいたま : 2008年10月21日 08:51

前回の「私のラジオデイズ」から続けて読んでいます。結構、難しい話ですね…(IQがバレます)。でも要点はわかります。

FM東海が続かなければFM東京もない!となると「私(さとこん)のラジオデイズ」も変わっていたかもしれない!FM東海存続に関わって下さった皆様、ありがとうございます!続きも楽しみにしております。遅ればせながら50回突破おめでとうございます。

投稿者 さとこん : 2008年10月23日 20:57

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