2007年12月09日

私のラジオデイズ19

前回、久しぶりに新宿・歌舞伎町を訪れて
懐かしい気分になったということをお話ししましたが、
当時とすっかり変ったのは、コマ劇場周辺の道路で
随分ときれいになりました。

私がDJをしていた喫茶店周辺も当時のお店の
面影はなく、すっかり新しい店になってしまいました。

1965年、何月だったかよく覚えていませんが、
世田谷の砧にあるNHK放送技術研究所が
一般公開され、展示された最新の放送機器を
見学した帰りに、友人と歌舞伎町の某喫茶店に
入ったのをきっかけに、私の生活環境はがらりと
変ってしまいます。

美人喫茶の看板に引き寄せられて、ついつい中に
入ったのが運の尽きというか、運命的な遭遇というか、
ちょうどDJタイムで、女性DJがスタジオ内で番組を
放送中でした。
それを聴いているうちに、なにやら無性に自分も
やってみたくなり、放送終了後、初対面の女性DJに
面会を申し入れ、自らの気持ちを伝えました。

すると、その場で店のマネージャーを紹介していただき、
最終回を代わりにやってみろということになりました。
いきなり与えられたチャンスを活かさない方法はありません。
そこで、当時、デビューしたばかりのビートルズの
アルバムや、すでに日本でも大人気だったプレスリーの
アルバムをを使って、デビュー当時のエピソードなどを
交えながら、30分の持ち時間をなんとかこなしました。

放送終了後、しばらくすると再びマネージャーが現れ、
「明日から週3回でやってもらう」と言われた時は、
思わず心の中で「やったー!」と叫びました。
このあたり、ブロードウエイのミュージカルに出て来る
物語のようですが、本当の話しです。

当時は若さにものをいわせ、何事も当たって砕けろといった
玉砕精神でよく突っ走ったものです。
怖い環境の中に身を置いたとも知らずに・・・・

| 10:20 | コメント(2) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
前回のお話も感動しましたが、今回は鳥肌モノでした!!
何しろ、自分が生まれたのが1965年、このUP時刻(10/20)でした…
自分が生まれて間もない頃に、田中さんはこんなブロードウェイ並みの体験をされていたとは…
この、当たって砕けろ精神がなければ、J-WAVEで田中さんのお声を拝聴したり、このようにブログでお話出来なかったかもしれない、と考えると、運命の不思議さを感じます…
次回も期待しております!!

投稿者 ちなみん : 2007年12月 9日 14:14

ちなみんさん、ありがとうございます。
偶然とは言え、こんなに感動していただけるとは
思ってもいませんでした。
東京オリンピックの感動も覚めやらぬ1965年は、
世の中が新たな時代に向かって一気に進み始めた
年でした。
特にミュージックシーンでは、ビートルズに刺激されて
イギリスやアメリカを中心に様々なグループサウンズが
誕生し、音楽を紹介する立場の人々にとっては、
目の離せない時代でした。

投稿者 ホヅミ : 2007年12月10日 10:11

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