2022年01月17日

mediaと1・17

もし今の様なデバイスがそろったじだいに阪神淡路大震災がおきていたらなにがかわったでしょう?
倒壊した家屋や助けを求める人の情報は瞬時にSNSで共有され,もっと被害の状況を正確に,迅速に知らせる事が出来たのかもしれません。

でも1995年当時の日本では,まだまだ携帯電話の普及は広がりを見せ始めたばかり。携帯が繋がり易かったという証言は使う人が少なくて輻輳を起こすまでに至らなかった事の現れでもありました.勿論iモードも発明されるはるか前。
webを使ったインターネット網だって,ようやくその存在が知られ始めたばかりで、ごく限られたユーザーも電気の通じる安全な場所でPCを開ける人ばかりでした。

デジタル写真も市販化されるのは翌年以降の事、動画の記録だって磁気テープに収めるのが普通で,再生や上書きにはいちいち巻き戻しの作業を要したものでした。こう考えるとあの頃の情報化はまだまだ、今に比べて未発達。とりわけ一般市民が発信ツール持たなかったに等しい事にあらためて驚かされます。

電話を掛けようにも回戦はパンク、他の通信手段はと言えば、限られた数の携帯電話が存在するのみでした。

ニュースの映像や取材記事も基本的にはカメラを持った記者の現場到着を侍たねばなりません.電話取材が困難となれば、隣接した大阪の放送局ですらヘリ中継の画像を見るまでは正確な状況が掴めなかった!というのですから・・・・・今なら投稿写真でメディアよりも早く情報入手が可能でしょう。

・・・・あれから27年の時を経て、私たちは様々な情報ツールを獲得しました。それらはあるいはあの時失なわれた命を救えたかも知れません。では全て正しく使いこなせているか?というと,これは大いに疑問です。時として情報が広まる事で誰かを死に追いやる事すらあるのですから・・・・・

| 19:30 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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