2015年06月22日

日本と韓国の五十年

 日韓が国交を回復して半世紀,どちらも戦後の目覚ましい成長を遂げましたが,半世紀前の両国はどうだったでしょう?
 東京オリンピックが終わった直後の東京は空前の高度成長期を迎えようとしていました。霞ヶ関には日本で最初の超高層ビルの建設がはじまり,瀬戸内海では当時、世界最大クラスの原油タンカーが建造されています。クルマの業界で云えば本格的なマイカー時代がまさに始まろうとしていた頃.66年に発売されたカローラ、サニー,それにホンダからN360も加わって、名神高速道路のサービスエリアには家族連れの姿が目立つ様になってゆきます。日本車の対外輸出が本格化したのもその頃、外貨の稼ぎ手として牽引力となりました。

 一方、ソウルでオリンピックが開催されたのは四半世紀ちょっと前の88年。国産車の爆発的なブームは70年代後半になってからでした。当初は日本メーカーの技術強力を仰ぎ、国際市場では全く無名だった存在の韓国車、ここ20年ばかりの間の品質向上は目覚ましく,海外の市場でも日本車を脅かす存在にまでなっています。
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 デザインも日本車と較べて見劣りしなくなったばかりか,エキセントリックで個性的な感性は日本車を凌ぐかも知れません.価格競争力の強さも無視できず,海外で大きくシェアを伸ばしている一因ともなっているようです。

 ハイブリッドなどの先端技術では優位に立つ日本,一方で価格の安さを武器にこれからも快進撃が予想される韓国車.五十年と云わず,次の10年でどのように勢力図が変わっているのか・・・・予測するのはなかなか困難です。

| 21:16 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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