2015年03月12日

北斗星の旅の途中・・・

 1993年7月の北海道南西沖地震、その瞬間を留萌の駅舎内で迎えることになりました。程なくして津波注意報が出されたことを知って、真っ先に向かったのは海岸沿いの岩場でテントを広げていたライダー達のいるところでした。すぐさまバイクで急行し、彼らに事の重大さを告げると、地元の消防車が警戒を呼びかけるアナウンスと共に巡回してくるのが見えました。
 道南に比べて震源からは距離があるものの日本海に面した留萌です。日本海を見下ろせる高台の公園には避難してきた地元の人が続々集まってきました。皆、カーラジオから流れる地震関連のニュースに聞き入っているようです。中には愛犬を伴って散歩気分のおじさんも見かけました。海岸からはかなり標高差があり、あんまり危機感はなさそうです。ラジオからは奥尻島で大規模な土砂崩れの発生を報じていましたが、それ以外の被災状況は明らかになってはいませんでした。

 前の晩もあまり寝ていないし、かと言ってこれから道南地方を目指して夜通し走るほどの体力も集中力もなさそうなので、この日は留萌で夜を明かすことにしました。とりあえず海が見渡せる場所で、海面の変化があっても大丈夫そうな場所を探してちょっと仮眠、深い眠りに落ちていましたが・・・・明け方とともに地震被害の全貌が明らかになってきました。


 それより10年前の日本海中部地震の百余人の倍近くに達する死者・行方不明者を出す大災害となっていました。とりわけ奥尻島を襲った津波は大規模な火災を誘発し、壊滅的な被害をもたらしたことは周知の通り。津波被害とは無縁と考えられていた日本海側の人々にまたしても過大な犠牲を伴う教訓を残したのでした。
 これより二年の後、阪神淡路大震災に見舞われ,30倍もの犠牲者が出ようとは想像だにしませんでした.さらにその9年後スマトラ島沖でマグニチュード9クラスという信じ難い規模の地震が起き,津波被害の恐ろしさをまざまざと見せつけられます。しかし、まさか日本の沿海で同じことが起こるだろうと,誰が想像したことでしょう.遠い海外の出来事だから・・・

 宮城県沖を震源とするマグニチュード7以上の大きな地震の発生はある程度は予測されていました。が、スマトラ島沖で起きたことが日本でも同様に起きると,誰が想像したでしょう。あの311当日の二日前,水曜日の昼頃に宮城県沖で,マグニチュード7クラスの地震が起きていました。

・・・・予測は当たったんだ・・と、内心思ったものでしたが,二日後に起きる危険な出来事の予兆だったと気付くのはいつまでたっても納まらない不気味な揺れを体験してからあとのことでした。

| 23:32 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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