2015年01月17日

あの日から20年

阪神淡路大震災から今日で丸20年を迎えた。当時私はまだ新潟放送に在籍していて、地震当日は早番アナウンサーとして5時半に出社。6時のラジオニュースの準備をしていた。

午前5時47分、地震情報端末のサイレンがなる。当初は「神戸・震度5」という表示で、一番早かったNHKのテレビでも最初は「関西で大きな地震がありました...」といった通常の速報を伝えるトーン。

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インターネットは出始めで、情報源としては機能していなかった時代、ラジオでは大阪支社と電話を結んで情報収集を。午前8時の段階でも、神戸での惨状はあまり伝えられていなかった。阪神高速道路が横倒しなったあの衝撃の映像を目の当たりにしたのは確か昼ごろになってからだったと記憶している。

20年という時の流れは情報伝達の目覚ましい進化をもたらしたが、どんなに情報の速度が早くなり、その精度が高くなったとしても、我々は過去の経験と記憶を鈍らせてはならない。あれから20年、そのことを改めて自覚したいと思う。

服部 陽介Official BLOG
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| 08:16 | コメント(0) | カテゴリー:服部陽介

2015年01月17日

涙を超えて

 神戸のまちを震災が襲ってから、もう20年。失われた沢山の光景を覚えているだけにその年月の速さには驚くばかりです.反面、震災を機に新しく生まれた街の光景も沢山ありました。新長田に現れた巨大な鉄人28号のモニュメントもそのひとつ。R1074708.jpg
特定非営利活動法人(NPO法人)「KOBE鉄人PROJECT」が建設したもので、2009年9月29日に完成しました。事業費と比べると80倍以上の経済波及効果があった(2010年当時)とも伝えられます。P1080106.jpg

 鉄人をはじめ、魔法使いサリーちゃんやジャイアントロボなど、日本のTVアニメ創成期を華々しく飾った原作者、横山光輝の出身地だったことに由来した復興プロジェクトのひとつです。

 震災で大規模な火災に見舞われた長田の街、震災当日の17日夜にもその猛火は衰えることを知らず、街のあちこちを焼き尽くしました。そんな最中、東京のスタジオで親族の訃報に接しながらもひとりで気丈にラジオの生番組を勤め上げた女性がいました.ポケットビスケッツでブレイクする前ののタレント・千秋さんでした。仕事の合間には溢れる涙が頬を伝い、未だ若かったカノジョにはどれほど辛い仕事だったか想像がつきません。後に彼女は、東日本大震災で自らも負傷したばかりでなく、復興にも人一倍意欲的に取り組んでいるようです。

| 00:18 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦


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