2010年03月22日
私のラジオデイズ90
1970年7月28日、この日、日本の
スポーツ航空界にとって画期的な出来事が
ありました。
「私のラジオデイズ」、今回からしばらくは
40数年間の航空取材の中で、思い出深い
出来事を堀りi起こしながらご紹介していきたい
と思います。
さて、1970年と言えば私が現職時代務めていた
エフエム東京が開局した年ですが、この年の
7月28日、アマチュアの飛行家が手作りの飛行機で
茅ヶ崎〜伊豆大島間の洋上飛行に成功しました。
当時、私は「日本自作航空機協会=現、エクスペリ
メンタル航空機連盟」の設立当初からの会員で、
仲間とともに自作機製作を志して毎月の例会に
出席していました。
(会長は日本のグライダーの父といわれた宮原旭さん
です)
そんな中、仲間の情報から館林市の大西勇一さんと
いう方が、自作のエンジン付きライトプレーンで
茅ヶ崎から伊豆大島までの洋上飛行に挑戦する事を
知りました。
これを取材しない手はありません。
当日、デンスケと呼ばれる録音機を肩から提げ、
マイク片手に茅ヶ崎の出発地点に向かいました。
出発地点は茅ヶ崎市と平塚市の堺を流れる
相模川の河口付近の土手でした。
早朝に現場に到着すると、すでに挑戦者の大西さんを
はじめ協力者の方々が滑走路となる土手の路面の
小石などを拾う作業をしていました。
この中には、日本自作航空機協会のメンバーも含まれて
おり、私も取材の準備をすませてこの作業に加わりました。
大西さんの製作した自作機は、全長6.5メートル、
翼の長さは12.3メートルの高翼単葉機でエンジンには
富士重工のスバルFF1000の水平対向4基筒水冷
エンジンを搭載していることから「スバルプレン」(プレーン
ではなく)と名付けられました。
機体の組み立て作業やエンジンの調整も順調に進み、
いよいよ歴史的な離陸の瞬間がやってきました。
出発前に大西さんを中心に機体の前でスタッフが
記念写真を撮りましたが、不肖、私もこの写真に
おさまっています。
(この写真、大切にしすぎてどこにしまったのか見つけ
だすことが出来ませんでした)
機体に乗り込む大西さんは、冒険者としてのイメージ
ではなく、トラクターにでも乗ってちょっとそこまで
行って来る!といった感じでした。
真夏の太陽が降り注ぐ暑い日ざしの中、スバルプレンが
静かに滑走を始めると、意外にもあっさりと地上を離れ
相模湾に向かって飛び去っていきました。
出発前には勿論、大西さんへのインタビューを含め、
関係者の声を拾って取材を行いました。
報道関係者は新聞記者が数名いましたが、ラジオ関係
では私一人だったと記憶しています。
出発の際のエンジン音や周りのガヤを録音した後、
夕方の放送に間に合うように社に引き返しました。
社に戻ると、テープの編集作業やニュース原稿の作成、
電話での関連取材が待っています。
なにしろ、取材から編集、構成、原稿書き、出演まで全て
一人で行うわけですから大変です。
茅ヶ崎〜伊豆大島間の往復洋上飛行の無事成功を
確認して、放送実施となりました。
めでたし、めでたし・・・・・・
と、ここまでは良かったのですが、この夜、大事件が
起きました。
この続きは次回に・・・・・・