2009年11月04日

究極(Z)のDNA

大阪万博目前の1969年暮れ日産から発売されたフェアレディーの新型はR1074097究極のスポーツを意図してZのイニシャルが加えられた

横浜に戻って来た日産の新しい本社には(18日まで)
歴代の日産フェアレディーZが勢揃いR1074413
文字通り日本のスポーツカーの頂点として
北米輸出の稼ぎ頭として,日産を代表する看板車種でした
R1074410
最新型のZ34は歴代でもっとも初代の雰囲気を再現している
と思います。
R1074397
ZG以来のマルーンも復活R1074376全部欲しいな・・・
R1074378.jpg
ハマの散歩道
横浜駅東口バス乗り場からスグの場所にある日産本社
水辺に面したショールームは
神戸にもない魅力のスポットですR1073271

海外生産車,モーターショー出品車、レース参戦車の展示から
日産が産み出した数々の名車まで、充実した内容にまとめられています。

R1073272

日産の歴史の中には数多くの名車が埋もれています
懐かしいBe-1が実物大で・・・・・・

R1073258
新型車を眺めながらカフェでブランチ
リゾートに乗り付けた愛車を眺めながら
お昼ご飯・・・・のシチュエーションをシミュレート
してみるのもいいでしょう。R1073269
横浜駅東口から高島、みなと未来方面への近道にも面していて
ハマの新たなお散歩コースとしてもうってつけ!

| 09:11 | コメント(12) | カテゴリー:吉田雅彦

コメント

吉田さん、引き続き失礼します。
横浜は・・・西口派でした。
14,15年前は横浜勤務でしたから、横浜駅周辺を廻りましたね・・・
このような真っ青な空の下、横浜周辺を回れるのは最高ですね!!

投稿者 ちなみん : 2009年9月23日 09:51

吉田さん、こんばんは。
日産本社行かれたのですね!
羨ましいです。混んでいなかったですか?

投稿者 海老名市のまこと : 2009年9月24日 21:53

遅れましたが、今年春に「日産、発祥の地へ」と新子安駅のホームの反対側の壁に大きい(広告)看板があるのを見ました。
あとは旧貨物線跡(新興線跡)沿いの関連工場の門にも大きく文字が掲げられていました。(サイクリング時に確認済み)
小人は今年まで、日産が横浜に元々本社があったとは全く知りませんでした。(移転前の本社が銀座にあったのも最近知りました)
肝心な新本社の場所は何処ら辺か分からず、まだ通ってません。

投稿者 小人部隊一号 : 2009年10月 8日 19:42

新子安駅の近くには現役の日産エンジン工場があって
6気筒エンジンなどはココで生産/出荷されます。
旧貨物線跡(新興線跡)沿いというのがそうかも。
別の貨物線を跨いだ向こうにはマツダの開発拠点
(休眠中)があって,ここは元・フォードの
日本工場でもありました。(戦前・って
ベトナムじゃなく第二次世界大戦の前)
横浜、鶴見は日本車の発祥の地と言っても
言い過ぎじゃない程にゆかりの地であって
三菱もいすゞも県内に工場を持っています。
40年前に栃木に日産工場が出来るまでは
日産は神奈川の自動車メーカーと断言出来ました。
ここに再び日産が本社を置くというのは
知事にとっても市長にとっても大歓迎なことです。
肝心な新本社の場所は東口のそごう横にある
バス乗り場の億にある新しい橋を渡れば、そこが本社.右下の数字の1が本社の位置です新高島駅に向かうルートでもあり,

本社一階を突っ切れば最短ルートになるんです。

投稿者 吉田雅彦 : 2009年10月 9日 11:33

吉田さん、遅れました
なんと・・・日産のギャラリーですか!?
フェアレディ240Zだ!!欲しい(笑)
日産は昔からマーチ、パオなどかわいい系とスカイラインGTRやフェアレディなどのスポーツ系のような独創的な物を作りますよね~
高級車のシーマやプレジテントなどもやはり日産ならではではないでしょうか?

投稿者 ピー : 2009年11月 9日 22:23

フェアレディー、シルビア、セドリック、女性的な
名前が多いのも日産車の特色ですね。
反面ZやRといったスポーツの象徴とも言うべき
イニシャルを持っているのもまた日産らしいところ。
Sssの復活やX-1の再来も望みたいところですが、
フィガロ、パオなど一連のパイクカーも
日産のお家芸と言えるかも.85年のショーで
公開されたbe-1はあまりの人気に生産が決まった程
フェアレディの原型は,ほんとはヤマハが企画した
TOYOTA2000GTだったという説もあります。
荻窪(旧プリンス系)設計のGTRと
追浜(日産系)育ちのZ432が同じ1969年に
デビューしたことも興味深い一致です!
シーマやプレジテントの高級車群もTOYOTAに先駆けて
マーケットを開拓した功労者と言えそうです。

もちろん外国人社長の導入でも・・・
(これはマツダが先でしたが)

投稿者 吉田雅彦 : 2009年11月10日 17:37

なるほど・・・僕の印象としては今のGTRより2000GTRやケンメリとかがものすごい印象残ってます。
その時代生まれてはないんですが、初めてみた印象は脳裏に今でも焼き付いています。

いかついボディーに運動神経抜群の車で、当時のウィングとかの形などが・・・実にいい!!

投稿者 ピー : 2009年11月15日 15:31

でっ、でしょう!~~~その通り!!
昔のRは威厳がありました.あの頃は
実物見かけた日にゃあマジで興奮したものです。
アルミ地のインストルメントパネル、リクライニング
しないバケットシート.雨樋のモールディング廃止
もちろんラジオもヒーターもオプション扱い
(雑誌じゃないですよ)
レースに勝つ為のクルマという目的の為軽量化も
徹底したものでした。カローローラレビン27系が
地味な外装を纏うのはこの影響です。

12月にはお土産売り場で日産の完全オリジナル
第1世代のGT-R1/43サイズモデルカーの
(PGC10、KPGC10、KPGC110)の3台のセットが売り出されますよ!

投稿者 吉田雅彦 : 2009年11月16日 19:35

そんなものですよ!!
親父の仕事の人がハコスカ乗ってるみたいで、当時買っていまだに乗ってるらしいです。
雨の日には絶対乗らないらしいです。
それ以来うちのコペンも雨の日乗らなくなりました。

GT-Rにはラジオなんてないのが普通じゃ?
TE-27のレビンなんてラリーなんか強かったんじゃ?
本物買えない分プラモで我慢します!!吉田さんはプラモデル作ってますか?

投稿者 ピー : 2009年11月17日 17:14

エアフィックスやモノグラム社の43分の1シリーズ
がお気に入りなんですが,最近は店頭に置いている店も
少なく,近所で探すのに苦労しています。というか
ほとんど生産休眠状態です。ヨーロッパの旧い小型車や
スポーツカーが主体でタイアまでもがプラ部品、
つや消し黒で彩色しなけりゃなりませんが,
何しろ置き場所をとらないのが最大の魅力です。
ルノークリオV6とか旧ミニ・カントリー、
ロータスエリート(初代)ないかなあ?エリートは
モノコックからしてプラスティックなので1/1
プラモデルだったといえるかもしれません。
レベルの24分の1もアメリカにしかない様な
ピックアップトラックやホットロッドが魅力ですが,
やはり駐車場問題が!タミヤではFー1/20分の1
シリーズがお気に入り、MP6、FW14Bの頃が
人気も高く、作り甲斐がありましたね。レイトンハウスや
ジョーダン、ロータスなんかも続々製品化されたし・・・・

最近の実車はプロポーションが悪くなりました。値段も
高くなっちゃったし。トレッドの広いスリックタイア
時代までが許容範囲でしょうかね。
BTCCやDTMも魅力ですがハコの車両は内装が精巧でないと
面白くありません。

TE-27のレビン当時、TOYOTA以上にラリーに
力を入れはじめたのが当時の三菱「ランサー」
1600 GSRはサザンクロスラリーで初優勝の他
サファリでも三菱快進撃の礎を残しています。
TOYOTAのラリー部門を牽引していたのはTTE
現在のF1チームの母体そのもので,セリカの
サファリ初制覇をきっかけにラリーフィールドで
お馴染みの存在になって行きますね。

投稿者 吉田雅彦 : 2009年11月18日 09:15

プラモ結構つくりますね~私は車・バイクしか・・・
ランサーを繰っていたのは篠塚健次郎さんですよね!!
フェアレディ240Zを操っていたのがユハ・カンクネン!のちにセリカを操る人でもあり、セリカを世界にその名を轟かせたのが、カルロス・サインツ!セリカST-165やST-185などをドライブしていました。
あとからST-185で勝利を何回もし、ST-205でも強かった有名なディディエ・オリオールなどもTOYOTAでした。
ST-205ででてきた元王者のマーカス・グロムホルムはセリカ・カローラを乗っていたのを見て顔を知りました。

あのときはTOYOTAの輝かしい歴史ですね。
TOYOTA以外にも三菱にトミ・マキネン、スバルにコリン・マクレーと強い人がたくさんいましたよ!!!
あの時代のラリーがよかったです。

投稿者 ピー : 2009年11月19日 20:29

ランサー1600GSL (A73)を繰っていた時代の篠塚健次郎さんを知る人はさすがに少ないですよね!!
私も昔、会社の営業部ランサーバン(初代A141V)で
仙人峠(岩手県)のワインディングをドリドリして
楽しんだ話は会社の人には内緒です。
フェアレディ240Zを操っていたドライバーには
ジャントッドやアルトーネンもいて、オイルショックの
73年を機にラリーから撤退した日産を離れます。
私の記憶が確かならジョギンダシンもランサーの前には
日産ワークスの看板男だった筈。(間違っていたら
私のぼけです)日産での蓄積がランサーに注ぎ込まれ
サファリ初参戦いきなり優勝の快挙を成し遂げましたね

セリカST-165の頃にはフルタイム四駆でないと
勝負になりませんでしたが、そのお手本を作ったのは
80年の真四角なアウディクワトロ(初代)
欧州のスキー場ではこぞって911からクアトロに
乗り換えるお金持ちが続出しました.ラリーでも
勿論大暴れ、ムートンなんて美人ドライバーも
話題に上りました.強かったし・・・・
そんなTOYOTAがサファリで初めて凱歌を挙げたのは
FR最後のTA64型のセリカで1984年から1986年まで、
四駆に頼らず優勝をおさめたものでした。
日産、三菱の独壇場だったサファリでトヨタが優勝?
当時のビックリニュースとして印象深いですね。
90年代に入るとファミリアもギャランもレガシーも
パルサーもツインカムターボフルタイム四駆を用意し
ラリーに参戦する夢の様な時代がやって来ます。
レガシィのWRC初優勝(93年のWRCニュージーランド/コリン・マクレー)は強く印象に残っていますねえ

と・・・・・振り返って見ると日産~三菱~TOYOTA~スバル+三菱~
と日本車がラリーを5年周期で席巻して来たのが判ります。
FIAの国際格式レースではホンダが力を入れるF1と市販車に結びつくWRCがあって、どちらが欧州の販売PRに結びつくか
考えた末のトヨタのF1進出だったと思うんですが
再びラリーシーンにトヨタのブランドが帰って来るんでしょうか?
セリカもGTーfourも無くなっちゃったし・・・・

ST-185/205、ファミリアGT、パルサーGTI-R
ギャランVR、ブルーバードsssーR、そしてレガシィ
夢の様な品揃えの90年代、まさか10数年後
これらが絶滅してしまう運命にあったなんて
予想だにしませんでした。
モーターファン別冊で買いそろえた◯◯◯のすべて
シリーズは今や永久保存版です。

投稿者 吉田雅彦 : 2009年11月21日 23:45

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